THE FLAMENCO TSUNAGU「つなぐ」

2020年1月 フラメンコX日本民謡X舞踏 TSUNAGU公演 出演アーティストの素顔   

座長亜哉子を取り巻く人物相関図

THE FLAMENCO TSUNAGUプロジェクトのブログ管理人のHIROです。

まもなく座が座長亜哉子のバイブルである「フラメンコの歴史」の著者 浜田慈郎先生の娘さんである吾愛(わかな)さんの「フラメンコの楽しいトリセツ」の連載が開始します。全8回です!

その前に・・・

これまで座長亜哉子につながる登場人物がいろいろと現れましたよね。

 

その登場人物の関係を整理してみましょう。

 

ドラマ仕立ての人物相関図を作ってみました。

 

まずは、座長亜哉子の人生に深く影響を与えた人物相関図です。

 

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座長の人生に影響与えた人物相関図

 

NUAGE GOTOさん TOMOE WHOLLYSさんはまだ登場していませんね。

 

そうそう カナステロとラフィについてもどうして座長の家族になることになったかもまだ語られていませんよね。

 

ちなみにコーディネーター 石原裕子 は ブログ管理人の私です。

 

今後徐々に明らかになります! お楽しみに!

 

民謡会館に行ってきました!っていったいどこ?

THE FLAMENCO TSUNAGUプロジェクト ブログ管理人のHIROです

今日は我が座長が日本民謡会館なるものに行ってきたときのお話です。

私もそんなのあるんだと関心。貴重な資料や道具の写真と共にお楽しみください!

 
公益財団法人日本民謡協会(会館)  http://www.nichimin.or.jp/index.html
月~金 9:30-18:00
TEL 03-3471-8888
土・日・祝日 休み
会館見学は会館時間中でも、あらかじめ電話をしてから行かれることをお勧めいたします

座長の亜哉子です。

民謡会館に行ったときのお話しをさせていただきます

どうぞ最後まで御付き合いください

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小川さんと私

 

民謡界のホープ、福士さん(津軽民謡)と矢吹さん(津軽三味線)と繋がった私は、民謡の事をあまりに知らないので、何か良い本などないか尋ねたところ、
日本民謡協会(創立、昭和25年)の、日本民謡会館に本も資料(映像も含む)も沢山あると教えて頂き、大雨の降る5月のある日、行ってきました。



JRの大井町駅から徒歩7分くらいです。電話をして、開館しているか確かめてから向かいました。着いたのは閉館2時間前を切っていたので、まあ、今日はどんな資料があるか見て、また、後日ゆっくり来れば良いかな、と、気軽に会館に入りました。

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受付を済ませた際、

先程お電話頂いた、石川さん(亜哉子の名字)ですか?今日は、資料案内係?が不在ですが、小山(おやま)という者が、対応させて頂きます。」

 

「た・・・対応??? うーむ、、、」

 

嬉しい反面、民謡への知識が無いので、「対応されても質問もないわ~」、「困った・・・」と思いながらも、私の中のキーワードには、日本の民謡/津軽民謡/津軽三味線/ 瞽女瞽女唄(小林ハル) / 越後の民謡/荷方節 があったので、そのあたりを知るには、どの資料を見たら良いかお聞きしようと思いました。


思いも寄らず、お茶や茶菓子など出して頂き、小山浩秀さんと私は、ちょこんとテーブルに座りました。私の知りたい範囲が広すぎて、(知らない範囲が広すぎて 笑)、知ったかぶりをするのは、諦めて、どうして来たのか話す事にしました。


つまり、~The Flamenco TSUNAGU~の企画をざっくりお話しした訳です。

 

フラメンコと民謡を繋ぐ事がやりたいのだが、民謡にについて、知らなすぎるから来たと。

 

そして、それから閉館までの2時間弱、小山さんは、なんと、ずーっと私とのお話に付き合ってくださいました。
私が、フラメンコと民謡に、非常に共通点を見出した事項。口承伝承であることや、労働から生まれた唄である事。楽譜が存在しない事。(フラメンコも民謡も、便宜上、楽譜が存在します)

 

美しいけど、消えていくと思われる文化、伝統を、私が見て来た範囲、出来る範囲で伝えたい気持ちも伝え、小山さんの経験談や、瞽女唄に関する考え、など、実は、資料を眺めているよりも貴重な時間を過ごしました。(資料は別の日に見れる、という意味で)

 

小山さんにとって、若い時、瞽女瞽女唄は、哀しすぎて聞けなかった。というような事をおしゃっていたのが、印象的でした。


私には、瞽女瞽女唄は胸に響きました。

彼は、聞く事さえ、できなかった。。。

 

人と、人の心は万別。当然ですが、感動しました。


小山さんにとっては、瞽女の存在は、きっともっと近い存在だったのだろうと、私なりに考えたりしました。


近いから、知ってるから、悲しずぎて見れないものってあると思います。

 

でも、小山さん、これを機会に?瞽女唄、聞いてみようかなって、おっしゃってました。

 

会話の中から、宿題も生まれました。
”白川軍八郎” 津軽三味線の神。津軽三味線を進化、確立した人物。
高橋竹山 この方が、津軽三味線を全国に広めた名人。


なんと、両人ともボサマ(盲目の門付芸人)でした。(正確には、高橋竹山は、うっすら見えていた、弱視だったらしい)


又、高山竹山が、一緒に巡業していた、成田雲竹さんは、民謡の父と呼ばれる方。

なんと、この方が、私達の民謡チームの福士あきみさんと繋がってきます。

宿題は山積みですが、楽しいです。


さて、会館には、労働から生まれた唄、という事で、実際、昔の農耕具が、本当に、ごろごろと置かれていました。笑。

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農耕具

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民謡に通常は楽譜は無い、と書きましたが、丁度、オリンピック用の五輪音頭の楽譜が届いたそうで、見せて頂きました。


文化譜と呼ぶそうです。

 

楽譜には、

 

ドン チンチ/ チンチ チンチ/ ドン チ チンチ 、、、

 

と、上の方に書かれていて、

 

まさかの口三味線! 

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私、割と使うんです!フラメンコを教える時に、

タータ、タンタンタンッ、 ッタータンタンタン  とか。

 

ほら。フラメンコも使ってる!私、使ってる!文化譜を!衝撃の事実! 笑 

 

会館の受付のそばに、三味線が一棹置いてあり” お声をかけてください、自由にお弾きください” 的な事が書いてあるのも、衝撃的。(弾きたくても弾けない 笑)

 

さて、家に帰ってから、確か、小山流の小山浩秀さんとおっしゃったかな。と、小山流をググったりしましたら、、、

hirohidekai1427.web.fc2.com


はあ~ ですよね~ 

この方も民謡界のドン。3歳でデビュー、、、
貴重な時間でした。民謡協会様、小山様、ありがとうございました。また、足を運ばさせて頂きます! 

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MINYO KYOUKAI 

(Museo de Minyo)

De lunes a Viernes

Cierra sabado, domingo y festivos

Hay varios utencilios de agricultura.(relacionado con el desarrollo de Minyo Japonés)

Recomendado llamar por telefono o enviar e-mail antes de visitar.

TEL+81 3 471-8888

info@nichimin.or.jp

 

#Tokyo 2020 #Minyo #民謡 #オリンピック音頭

 

 

座長亜哉子と柴崎正道氏との出会い

THE FLAMENCO TSUNAGUプロジェクトのブログ管理人のHIROです。

この人なしにはこのプロジェクトは起動しなかったというキーパーソン、舞踏家 柴崎正道さん。座長亜哉子はジャンルの違う柴崎さんとどうして出会うことになったのでしょうか?

 

座長の亜哉子です。私の身の上話にお付き合いいただきありがとうございます。

TSUNAGUプロジェクトのキーパーソン 柴崎さんとの出会いの話を聞いてください。

タイトル『繋ぐ~繋がった フラメンコ~私~柴崎正道~舞踏~民謡』


繋ぐプロジェクトが立ち上がった理由の一つに、舞踏家、柴崎正道さんの存在は大きいです。
20年ほど前、柴崎さんは、暗黒舞踏家としてスペインに度々公演にいらしていて、そのお手伝いで私も呼ばれ、彼に出会いました。
(呼んでくれた親友に感謝が止まりません)

 

舞踏家としてのスキル、感受性、人柄が素晴らしく、大変惹かれました。
沢山話をし、私はフラメンコの素晴らしさを伝え、柴崎さんもやはり、この時、フラメンコの魔物に取り憑かれたと思います。

 

20年前は、スペインのバブルが弾ける前で、ペセタ、という独自の通貨を持ち、スペイン人は、今と比べるとびっくりするほど、呑気に暮らしていました。

 

フラメンコの一流アーティストが溜まるバルがあり、盛り上がると、秘密の地下室で、朝まで歌って飲んでが見れた時代でした。
(今では、このようなバルや宴は、少なくなってきたと思います)

私は、色々見逃さないために、このバルの常連でしたので、地下室にも通してもらえてました。

 

柴崎さんと行った夜も、運良く宴は始まり、

観光で見せるフラメンコとは違った、フラメンコの原点を柴崎さんは、目撃することになります。

 

何かを共有すると、心が近づく。と言います。

 

お互いの芸術に対する尊重と、この夜の出来事を共有した事が、私達の繋がり、宝となります。

 

この20年は、お互いの活動に足を運んで友情を繋げました。

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柴崎正道さんと私

 

グラナダでのフラメンコメンバーに関し、私にとってベストメンバーが揃い、私の生活や人生のタイミング的にも満を持した感があり、去年、柴崎さんにこのグループで日本で公演ができないかと相談したところ、柴崎さんも絡んで頂けるどころか、フラメンコの原点を日本に持ってきてくれるなら、僕達の原点とぶつけてみようと言ってくれました。


日本の北の民謡には、瞽女唄があり、それが、津軽民謡の原形でもあるかも、とか。(柴崎さんは福島県いわき市生まれ)

 

柴崎さんの舞踏(暗黒舞踏・前衛舞踏)の創始者である、土方巽さん(1928-1986) の生まれ故郷である、秋田の荷方節や、最後の瞽女と言われる小林ハルさん(新潟出身)の唄を共に聞き、私の底の日本人の心が、震えました。(最初にフラメンコを見た時の感覚と似ています)

 

フラメンコを通じて本当の自分に出会えた私は、今度は、自分の故郷の、自分の言葉の唄とメロディーでも自分に出会える予感がするのです。

 

民謡側と既に共演経験がある柴崎さんは、アーティストを探す手伝いを引き受けてくださり、私達は、民謡界の若手ホープ、福士あきみさん(唄)、矢吹和之さん(三味線)と出会うことになります。

 

25年住んだ、スペイン。私に毎日必要な空気のような存在となったフラメンコと、舞踏家、柴崎正道が繋がり、私達の故郷、日本の心、民謡が繋がります。

 

The Flamenco の踊り手で構成、振付担当のラファエル・マルトスと、柴崎さんが出会い、繋がったのも、このプロジェクトが立ち上がる何年か前のことになりますが、このお話は、また別の機会にお話しますね。
つづく 

 

"TSUNAGU"  (UNIR/ ENLAZAR)

Flamenco~Yo~ Sr.SHIBASAKI~Butoh~Minyo

 

Hay una persona muy importante en este projecto TSUNAGU, es el Sr. Masamichi Shibasaki, un bailarín de Butoh.

Le conocí hace 20 años y él ha venido varias veces a España para actuar. Entonces una amiga mía me llamó para trabajar durante su acto en Madrid.  (No sé cómo agradecerle a esa amiga mía por darme la oportunidad de conocer a Masamichi)

 

Me encantó Masamichi como artista, como persona. Hemos hablado muchas cosas y especialmente intenté explicarle cómo me enamoré del flamenco y tal vez él también empezó a enamorarse de éste.

En esa época en España usaban su propia moneda que se llamaba peseta.  La vida era muy diferente a la de ahora,

La gente era muy despreocupada y optimista. Hablaban y cantaban hasta la madrugada sin pensar en el trabajo del día siguiente. Había un bar de tipo sótano oscuro en el que se reunían artistas famosos del flamenco. Era un bar donde reúnen solamente tertulianos de flamenco.

Y yo iba siempre a ese bar, ya que ¡¡¡donde había flamenco, no debía faltar!!! …jajajaaaa

Lamentablemente creo que ya no existe este tipo de bar ahora.

 

Volviendo a aquella noche (hace 20 años), cuando fui a ese bar con Masamichi, ¡¡empezó una juerga grande de flamenco!!

 

¡¡¡Por suerte Masamichi vió el flamenco de verdad, el que no podía ver un simple turista!!!

 

Cuando se comparte una cosa muy profunda o especial, la relación amistosa se profundiza y une fácilmente el corazón de ambos,

Así que aquella noche nuestra amistad  profundizó y sigue siendo lo mismo o más hasta hoy. Yo observo su acto y él a mí respetando las actividades de ambos durante 20 años.

 

El año pasado por fin pude formar sólidamente el mejor equipo de flamenco del estilo que me gusta y también sentí que había llegado el momento de hacer algo con ellos.

 

¿Pero cómo?

 

Entonces consulté con Masamichi y me dio  su consentimiento de buena gana para colaborar a mi sueño. Además dijo que podía actuar con nuestro flamenco tradicional puro para mostrar la pasión y el alma del origen de flamenco y el de su arte.  

Además, me dió una idea de colaborar con Minyo de la zona norte de Japón.

 

Masamichi es de la provincia de Fukushima (cuidad Iwaki) y tiene mucha influencia de Minyo y la cultura del norte de Japón.

También el maestro y fundador de Buto, el Sr. Tatsumi Hijikata era originario de la provincia Akita, al norte de Japón. Por lo tanto Masamichi conoce mucho del Minyo del norte de Japón.

 

Masamichi me enseñó dos canciones de origen del Minyo, una es ” Nikatabushi ”(originaria de la provincia Niigata )

Otra es el cante de Haru Kobayashi , que es una cantante ciega ”Goze ”

(ella es la última Goze de Japón )

Tembló mi corazón profundamente(algo parecido a cuando vi por primera vez el flamenco ), aparte de que como soy japonesa, el idioma no es barrera tal como lo fue al principio con el flamenco.

Por la gracia del flamenco yo me encontré a mí misma. Ahora con el Minyo ¿podría pasar lo mismo?

Ahora con mi propio idioma y melodía.

Masamichi ya tenía experiencia de actuar con Minyo y me ayudó a buscar las artistas para este proyecto, y con mucho suerte nos encontramos con las estrellas del mundo de Minyo !!!

La cantante Akimi Fukushi,  El Samisén (la guitarra japonesa de tres cuerdas)Kazuyuki Yabuki,

España(25 años de mi vida )y el flamenco (ya como mi oxígeno)y Masamichi (el bailarín de Buto)

Y ahora enlazando con Minyo,(es nuestro origen, es nuestro corazón, es saber de dónde venimos )

Os contaré otro día cómo se han conocido y enlazado Masamichi con el bailaor Rafael Martos(uno de los miembro del proyecto)

Eso ocurrió hace 2 años más o menos,

Continuará...

Escrito por Ayako Ishikawa 

 

令和も民謡でGO Go Go! 民謡チーム出演のコンサートに行ってきました!

THE FLAMENCO TSUNAGU ブログ管理人のHIROです

今日は民謡のコンサートに行ってきたお話しを書きます。

なぜ民謡?? 

今回のTHE FLAMENCO TSUNAGUプロジェクトのチームジャパンは民謡界の若手ホープ、福士あきみさん(唄)と矢吹和之さん(三味線)だからです!

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福士あきみさん

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矢吹 和之さん

 

フラメンコとフラメンコの発祥・発展の話を聞いていただき、面白い!と二つ返事で競演をご快諾いただきました!

あきみさんのご一家は、今は亡きお父様(豊秋氏)を筆頭に津軽民謡の第一人者として伝統を大切にしながら、民謡の継承・発展に寄与してきました。

豊秋さんは、プロになって第一人者と認められる存在になってからもコンクールに出場するなど常に己に厳しい素晴らしい方であったのではと民謡をよく知らない私も感じてしまうエピソードがあるすごい方です。

お母さまも民謡協会から初代名人の称号を与えられた成田雲竹一門の出身で二代目成田雲竹女。

成田雲竹??? 誰なのと普通は思いますよね

調べていくとこのお方のお言葉がいろいろ出てくるのですが 例えば

「芸人は大衆にこびるが、芸能人は芸を記録として後世に残すことに生きがいを持つ」などなるほどという内容がたくさんあります。

民謡は、口承伝承として伝わっていく地域や時代に応じていろいろな歌詞がつけられてきたものですが、成田雲竹は、わいざつな歌詞をきらって生涯民謡の発掘と発展に自分の人生をささげた人物とのことです。

芸人と芸能人のくだりはなるほど・・・と思ってしまいます
色々調べていくと面白いことやなるほどということがたくさん民謡の世界にも広がっています。
日本人として知らないことありすぎ・・・ と思う反面、地域色豊な日本という国の文化に改めて良いなと感じます。
たとえば、津軽民謡の有名どころに「あいや節」というものがあるのですが、同じ青森県の中で、津軽あいや節と南部あいや節と地域により違う発展と定着をしています。
そもそも「あいや」って何と調べていくと、熊本の牛深港で歌われていた「ハイヤ節」という船頭が歌っていた唄らしく、それが各地の漁港に伝えられ、津軽ではそれがなまって「あいや節」として定着したとのことです。歌詞もご当地にあわせて変化をとげてます。
また半音下げた陰調なるものも存在します。

口承伝承、その土地に合わせて変化を遂げていく。という点ではフラメンコととても似ている!

さてあきみさんファミリーのお話に戻ります。
6月30日に「令和も民謡でGO GO」という福士ファミリーコンサートへ行ってきました。

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人生初、民謡コンサート。スペイン人の夫、7歳の息子、86歳の母、15歳離れた姉と、いわば全世代で鑑賞。
津軽だけではなく、秋田、岩手の民謡歌手の方も出演していて、地域色の違いも満喫できました。
また、ブルースハープとの共演も美しかった!
地域は違うが、「五木の子守歌」をブルースハープと唄で奏でたのが、哀愁を感じ、言葉の意味の分からない7歳の息子も目を真ん丸にして聞き入ってました。

あきみさんの空へすかーっと伸びるような歌声も、東京にいながら津軽の情景が浮かんだな~
そんな素敵な日本のアーティストさんと一緒にできるなんて  楽しみです! 

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令和も民謡でGO GOにご出演された皆さん

De parte de Japón para el proyecto TSUNAGU participarán Akimi Fukushi (cante) y Kazuyuki Yabuki (shamisen), quienes son promesas jóvenes del mundo del Minyo.


Escuchando la historia y el origen del flamenco, les ha encantó y dieron su consentimiento encantados con el proyecto.

 

La familia de Akimi contribuye a la sucesión y desarrollo de Minyo del distrito Tsugaru (norte de Japón) con su padre, Toyoaki Fukushi quien respeta la tradición.
Toyoaki parece que es un hombre muy exigente consigo mismo, ya que hay un episodio en el que él seguía participando en los concursos de amateur siendo el primer personaje de Minyo.
Su madre, Narita Unchikume, también es una persona importante del mundo de Minyo, una sucesora de la casa de Narita Unchiku quien recibió el título de primer maestro desde la asociación de Minyo japonés.

 


¿Quién es Narita Unchiku? No es un nombre familiar para la gente que no conoce Minyo.
Buscando y “googleando”
Aparecen varias palabras suyas

 

"Un animador (Geinin) adula al público y un artista siente la dicha de vivir transmitiendo su arte a la posteridad como una marca"

 


El Minyo es una arte oral y sus letras y estilos cambian según se van pasando lugares y con el transcurso del tiempo. Narita Unchiku odiaba las letras miserables y vulgares y contribuía al descubrimiento y desarrollo del Minyo durante toda su vida.
Sus palabras nos hacen pensar...

 


Buscando y estudiando informaciones sobre Minyo, hay muchas cosas interesantes y que no conocía hasta ahora.
A veces siento vergüenza de no conocer tantas cosas sobre una cultura japonesa tradicional siendo una japonesa.


Pero al mismo tiempo me siento orgullosa de tener tanta variedad de cultura según la zona en Japón.


Por ejemplo, uno de los cantes de Tsugaru más populares se llama Aiya-bushi. Dentro de la misma provincia Aomori, según el distrito se desarrolló en su propia manera. Y el origen de ese Aiya-bushi es el puerto pesquero de la provincia Kumamoto (sur de Japón). Los barqueros de Kumamoto cantaba "Haiya -bushi" y viajaban de puertoen puerto. Al llegar a Tsugaru (norte de Japón) se llamaban Aiya-bushi, es una corrupción de la palabra.


También cambiaba las letras según la costumbre de la zona y cambiaba el tono a más de melancolía.


O sea, el Minyo japonés es un arte folclórico transmitido oralmente y cambiando según las costumbres y culturas de cada zona.

 

¡Es lo mismo que el flamenco!


Volviendo al tema de la familia Akimi, se celebró un concierto de la familia Fukushi, que se llama "Go Go por Minyo en la nueva era Reiwa"


Fui por primera vez al concierto de Minyo. Fuimos toda la familia, o sea toda la generación, desde la abuela hasta un niño de 7 años. También con un español.


Cantaban no solamente los cantantes de Tsugaru sino también de Akita y de Iwate (otras provincias del norte de Japón) También participaba una armónica (normalmente no se usa para Minyo) y tocaba “para un cante de canción de cuna.”


Hace sentir melancolía y el niño y el español para quienes es difícil de entender las letras antiguas, lo observaban muy seriamente.


La voz de Akimi es muy transparente y al mismo tiempo tiene fuerza. Al escuchar da la imagen de la escena de Tsugaru.


Me siento muy feliz por trabajar con artistas tan maravillas como ellos.

 

 

座長亜哉子のフラメンコ人生 第3弾 初心にかえる

THE FLAMENCO TSUNAGUプロジェクト ブログ管理人のHIROです。

今回は我が座長亜哉子が自ら語るフラメンコ人生 第3弾をお楽しみください。

 

~座長の亜哉子でございます 私の身の上話にお付き合いくださりありがとうございます第2弾に続いて第三弾 初心にかえり、私のバイブルの書を読み直したおななしでございます。。。~
メンバーを正式に結成し(私を含め5名)日本に行くことを決意した後、改めて、私のバイブルを本棚から取り出して読み始めました。

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この本は、またもや、私の心をどこかに連れ去ります。25年、実際スペインに生きてきた私には、実は25年前に読んだ時よりも滲みる内容でした。

 

ガツンときて泣きました。著者の濱田先生は、直接存じあげなかったのですが、娘さんの濱田吾愛さんとは、彼女のフラメンコの歌のライブを聞きに行ったことがあり、多少ばかりの面識があったので、早速連絡を取り、会いに行きました。

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座長のバイブルの著者浜田先生



 

濱田吾愛さんが担当している、東京芸術大学のスペイン音楽の講義や、フラメンコの講義を聞きに行ったりしました。最初はこの公演までのカウントダウンブログでお父様の著書からの引用をさせて頂く事をお願いしようかと思っていましたが、お父様同様、深すぎる知識をもっていることや、私とは違った面で、本物のフラメンコを実際に見た人のコメントに私は再びガツンとやられ、いつの間にか、引用という作業自体が薄っぺらく感じました。

 


私と濱田吾愛さんは、全く異質ですが、スペインやフラメンコの話をよくしてケラケラ笑うようになりました。今回、この”The Flamenco TSUNAGU"プロジェクトのカウントダウンブログに、フラメンコをあまり知らない人にも見に来てもらいたいのでフラメンコについてわかりやすく説明を載せたいと考えていたのですが、彼女がその適役だと思いダメもとで相談を投げかけたところ承諾して頂きました。
さあ。もうじき、濱田吾愛さんのフラメンコの豆知識的な、シリーズブログが始まります!お楽しみに!

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濱田わかなさん 


彼女とやりとりしていると、たまに、私のバイブルの著者である偉大なお父様の好物は、あんこ、である、とか。
わたし的には、嬉しいニュースが漏れたりして、ほくっと幸せになります。笑。

 


Cuando formé mí equipo de flamenco (somos 5) y decidí en ir a Japón con ellos, empezé recordar mi vida en España y mi flamenco. Entonces sentí ganas de volver a releer mi biblia particular, “Historia del flamenco”, escrito por Jiro Hamada.


¡Increíble!. Este libro me está llevando a un segundo viaje a mi corazón. ¿Por qué?. Soy la misma y el libro es mismo!!! 

Pero he vivido 25 años en España y cosas que hay escritas en este libro son ya reales para mí.

Me ha hecho llorar.

 

Yo personalmente no conozco al escritor pero por casualidad conocí a su hija Wakana Hamada. Ella también es musicóloga hispanista y canta flamenco.

 

La conocí cuando fui a verla cantar. Me pregunté si no sería una buena idea incluir alguna de las frases del libro de su padre en el folleto del concierto como homenaje a este libro que me influyo tanto en mis inicios y que sigue marcando mis pasos en el flamenco hasta la actualidad.

 

Decidí que le llamaría para pedirle que me diera permiso para ello. Pero antes de eso me interesaba escuchar su clase de música hispanista y clase de flamencología (Ella está dando clases en la Universidad de Arte de Tokyo ).

 


Es impresionante su clase. Su conocimiento es para mí es el no va más. Es igual que su padre. Ella conoce el flamenco de verdad porque lo ha visto y vivido.

 

Quería incluir las frases de su padre???  Es una tontería mía.

Me daba igual que me dijera que no, pero tenía que decirle lo que sentía y que me haría muchísima ilusión si pudiera escribir algún artículo para este proyecto.(The Flamenco TSUNAGU )

 

Y al fin, ¡me dijo que si! .

 

Ya mismo va a comenzar sus artículos. Esperamos que disfrutéis!!!

 

Yo y ella hablamos de muchas cosas de flamenco y reímos muchísimo! Ella algunas veces habla de su padre. Una de su comida favorita son los dulces. Él es para mí como un dios.

 

Mi dios come mucho dulce. No paro de reír y un ratito de alegría para mí.

THE FLAMENCO座長 亜哉子の人生 その2

THE FLAMENCO TSUNAGUプロジェクト管理人のHIROです。

今日は座長亜哉子の身の上話第2弾、25年のフラメンコ愛についてのお話しにお付き合いください。

 

座長の亜哉子です。

その後も私のフラメンコ熱は、冷めませんでした。それどころか、ますます侵されて行くばかり。(笑)
辛くも、心が揺り動くフラメンコへの片想いには終わりがありません。時に知らないうちに、涙がこぼれました。頭に届く前に心臓に直接突き刺さります。

そう、フラメンコの深い病にかかってしまったのです…

この25年、現地で踊り手として、運良く、仕事もさせて頂いたりしました。師弟関係の尊さと厳しさ。スペインの伝統芸能を外国人がやっているわけですから、軽い人種差別のようなこともありましたが、めげることはありませんでした。辛いことより、素晴らしい面をフラメンコは私に見せつけ続けます。
25年の歳月を経て、もう私には、フラメンコを『続けている』という感覚がほぼ無いことに気がつきました。フラメンコが私のある一部分になりました。

怪我などで、明日、急に踊れなくなる事は、勿論嫌ですが、私とフラメンコは、辞めるか、辞めないか、の関係を通り越しました。

 

人生の中で大切な友人は日本にも居ますが、海外生活の中、フラメンコ仲間にも大切な友人を持てた事は、私の宝です。その友人は、私が人生の岐路に立って、踊る気力が無かった時、そっと良いタイミングで踊りに戻ってくるようにしてくれました。

幼少期からプロとして活躍している友人の心と、外国人の私の心は、フラメンコを通じて出会い、そして繋がりました。

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力強さとエレガントさが絶妙なバランスのKIKA QUESADAさん

 

彼女を含めたフラメンコ仲間と私は、定期的に練習をしてきました。

そして2年前。また新たな『繋がる』が起きました。今回、企画を手伝ってくださっている石原さんにこのメンバーを偶然観てもらう機会が訪れたのです。

技術は勿論、原石のような伝統的なフラメンコに共感した彼女と是非このメンバーを日本に紹介しようという話で盛り上がり、それを現実にするべく今、船は出航したのです。

 

〜つづく〜

 

~Amor por el flamenco~
Llevo 25 años enamorada del flamenco y sigo teniendo la misma pasión por él.


Muchas veces se me caían las lagrimas al escucharlo por sí solas, o sea, parece que antes de entender por el cerebro entra directamente a mi corazón.

Este amor nunca acabará. Creo que amo el flamenco ceiegamente.


Por suerte he tenido varias ocasiones de bailar en muchos lugares de España y durante mi estancia en este país me han pasado muchas cosas buenas y también malas.

Es normal ya que una extranjera está aprendiendo un arte muy profundo en el lugar de origen del mismo. Además , el flamenco me hace olvidar todo lo negativo.

Y me he dado cuenta de que ahora el flamenco se ha convertido como en oxígeno para mi vida, y no puedo vivir sin él.
T

ambién debo agradecer a mis amigos de aquí y del mundo del flamenco ya que estaban a mi lado en mis momentos dificiles para que pudiera levantar cabeza. Es un encuentro muy importante de mi vida y son mi enlace con el mundo de flamenco.

De igual manera hubo un encuentro importante hace 2 años.

Fue con la coordinadora de este proyecto. Cuando ella trajo a sus clientes a España tuvo oportunidad de ver el show de mi mejor amiga. A ella y a sus clientes les encantó el show.

También me dijo que parecía el flamenco puro que había visto en España hace muchos años.

Desde entonces empecé a hablar con ella de la posibilidad de llevar mi grupo de flamenco a Japón.

~Continuará~

ところでこの写真のアントニオ・ガデスってだれなのよ?

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あやこさんの片思い相手アントニオ・ガデスさん

いったいこの方は誰?と思っている方もいますよね? 1936年に生まれ。この年はスペインのちょー有名な詩人ガルシア・ロルカが暗殺された年だそうです。ロルカの詩が好きだったガデスさんは「私はスペインの死の中に生まれた」といったそうです。彼の生まれた年のスペインは内戦の真っ只中。あの独裁者のフランコさんが元気だったころの時代です。このころの歴史のことを書き出すとなが~くなるので、簡単に言えばガデスさんの幼少期は内戦、果敢な若者の時期はフランコ独裁政権下だったということです。お父さんは志願兵として参戦し大怪我をおい、大黒柱が働けなくなったガデスさんのお家はとても苦しかったようです。それでも知人の勧めで舞踏学校に通うことができ、とにかくお金になるなら何でもやるということでナイトクラブなどで踊っていたガデスさんは、そのナイトクラブでいまでいうスカウトのような形で当時とても有名だった舞踏団に入団し、スペイン舞踏やクラシックバレエを習得していきます。もともと身体能力の高い方だったのでしょう。飛ぶ鳥を落とす勢いで踊りを習得し、経験を積み自らの舞踏団を立ち上げるほど有名になります。独裁政権終結後のスペインで国立バレエ団の初代芸術監督に任命されるも、彼の政治的思想から解雇されています。その後、映画監督カルロス・サウラと出会い映画製作出演に係ります。このときの作品の一つが「カルメン」です。全部でなくても一部だけ見たことある人も多いかもしれません。この映画からフラメンコを知ったという人も多いと思います。

どんな映画がきになったらレンタルDVDもあるみたいです。

https://tsutaya.tsite.jp/item/movie/PTA00008D9J8

有名なシーンだけはYOUTUBEでも観れます。みたらあ~これ!と思う方もいるかもしれません。

https://www.youtube.com/watch?v=HWILvpcWTog

この映画が1983年ですから、ガデスさん47歳。おじさん臭を全く感じさせないスレンダーでイケメンですね~。

この映画の音楽は有名なフラメンコギタリストパゴ・デ・ルシア! サウンド・トラックはもうどこにも売ってないみたい・・・

ガデスさんの身体能力に驚く美しい踊りのシーンをいくつかご紹介

https://www.youtube.com/watch?v=n0ywP_HCVXE

途中ひざをついたと思ったらすっと立ち上がる。姿勢まっすぐ。まねしようと思ってもできない動き!!!

https://www.youtube.com/watch?v=pTVqfCPq_CE

静と動のバランス キレキレ 一緒に踊っている方はクリスティーナ・オヨスというこちらもちょう有名なダンサーさん 現在73歳くらいかな~

https://www.youtube.com/watch?v=lIaJKThFZ6A

こんな感じに踊りで「死」を表現。これはもうジャンルを超えている・・・

https://www.youtube.com/watch?v=0JxTkakfimQ

お時間があればガデスさんのバイオグラフィー映像 54分ぐらい しかもスペイン語ですがガデスさんの踊りがたっぷり見れます。

 

こんなガデスさんに恋しているTHE FLAMENCO TSUNAGUプロジェクトの我が座長あやこさん。現実の恋にもどってこれないでしょ(笑)