THE FLAMENCO TSUNAGU「つなぐ」

2020年1月 フラメンコX日本民謡X舞踏 TSUNAGU公演 出演アーティストの素顔   

グラナダのフラメンコの伝統を守り続ける踊り手 キカ・ケサーダとはどんな人? Vol.1

THE FLAMENCO TSUNAGUブログの管理人HIROKOです

私がこの公演プロジェクトにかかわるきっかけになったひとつがキカさんの踊りを見たことです。

お客さんと一緒にスペインの旅をしたとき、キカさんの踊りをまじかで観ました。フラメンコを観たことある人もない人もくぎ付けで、ショーの後はみんなにちょっとフラメンコの振りをちょっと教えてくれたりで、「ああ フラメンコまた観たい!!」という気持ちになりました。これは私が20云年前、初めてスペインに行きグラナダの洞窟でフラメンコを観たときの気持ちと一緒だったんです。

そんなキカさんがメンバーの公演お手伝いするしかないでしょ!ということで今になります。我が座長亜哉子さんはキカさんとは長い付き合いで大親友でもあります。

 

座長にキカさんの紹介をしてもらいましょう。

 

座長の亜哉子です。

 

キカのどこを切ってもフラメンコしか残らないのです。小細工は一切ありません。

私は実は、彼女の踊りは、私がスペインに来た時から、25年見て来ています。ずっと彼女はブレません。

 

彼女の踊りは、彼女の心が、彼女の肉体を通して表現されているだけのピュアなもので、若いのに、あんなに綺麗なのに、ベテランのヒターナ(ジプシー)のおばちゃんのような味わいや、懐かしさ、古いフラメンコの伝統を感じられます。

 

そして、彼女の人生が、人間が、年輪のように積み重ねられていくごとに、彼女の踊りはどんどん良くなっていっていると感じます。人生に関しても、踊りに関しても進化と努力をし続けるからなのでしょう。

 

つい、力説してしまいましたね。笑。

 

私の親友で、私の尊敬するアーティストなのでして。キカとは、先ほど書いたように、25年間前から知ってはいましたが、7~8年前、マリキージャの舞踊団で海外公演に行った時から、距離が縮まり、その頃、色々な意味で人生の転機で、踊り自体も続けることを迷っていた私をさりげなく支えてくれていたのは、キカでした。

 

親友であるから言うわけではないのですが、とにかく彼女の存在そのものが、フラメンコ。だから、踊ってもフラメンコが滲み出るのだと思います。

フラメンコは、工夫して、頑張って、演奏したりするものでは無いと感じています。もちろん、それに伴う、テクニックというものは、努力し身につける必要はあります。

 

前置きが長くなりました。

 

キカの家は、両親とも、フラメンコ愛好家だったそうで、特に、お父さんのフラメンコ熱はすごかったそうです。

アンダルシアには、たまに、こういう家族がいます。昔のアンダルシアは、このような家庭が多かったので、両親どちらかがアーティストでなくても、そんな家庭から、アーティストが育ったりします。

お父さんは、24時間、フラメンコを聞き続けていた方だったと言います。

なので、小さいキカは、

ローレとマヌエル (夫婦でフラメンコを70年代から歌っていた)

エル・チーノ・デ・マラガ (こんな人です。https://www.youtube.com/watch?v=HpDW5qK4Xmw   )

パンセキート。(こんな歌声の人です https://www.youtube.com/watch?v=i3b5EJ0jbGI&list=PLwYSg1iVOUKj-RAScXb2w4ZFEH4vbeBid&index=1 )

テレモト。(こんな歌い手さんです https://www.youtube.com/watch?v=oxLKNjdzqVA

を聞いて育ったそうです。

 

なるほど。フラメンコの歌の話をキカとすると、たまに、えらい渋くて古い人の歌の話をするのは、やはり幼少時代聞いていたからなのですね。

(日本に置き換えてみると。若いのに、やっぱり歌は、美空ひばりよね。みたいな、会話になるわけです。笑)

 

キカ、5歳の時、ご近所にマリチューという、踊りの達者な女性がいて、彼女のお婆様の家のサロンに、近所の子供を集めて踊りを教えていたそうです。キカのお母さんが、そこにキカを連れていくようになったのが、踊りを始める全てのきっかけだったそうです。

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マリチュー時代のキカさん

キカの踊りの才能は小さな頃から素晴らしかったようで、12歳で、グラナダ市の舞踊団に選抜され、グラナダの村々の祭りを全部回るというのが、踊り手としての最初のお仕事でした。

12歳だと、まだ、小学校6年生とか、中一ですよね。

 

仕事に行くには、ご両親のどちらからは必ず引率しなくはいけないですから、家族の協力が必須だったということです。

(車で2時間~3時間かけて行かなくてはいけない村々は、沢山あります)

 

さて、このマリチューさんは、大変正直な方のようで、子供の中で才能のある子がいると、グラナダの踊る人間国宝、マリキージャ先生のところに連れて行くそうです。

 

「自分はもう教えることがないから、この子を伸ばしてあげてください」と。

 

キカも、そんな子供の一人だったでようです。

 

マリチューのクラスからマリキージャ学校へ行くようになったキカのかわいいエピソードがあります。

 

この話は、キカが私に話してくれた内容ではないけど、紛れもなくキカの話。

キカのスピンオフ物語です。

 

お世話になったマリキージャ先生に、久しぶりに私の近況や来年の日本公演の話など報告に行った時のことです。

昔話も、飛び交い、楽しいひと時を過ごしたのですが、そんな中で、マリキージャ学校の鉄則について話題になりました。

 

今も、昔も、マリキージャ舞踊学校は、ガム禁止です。

 

ガムに限らす、マリキージャ学校は”フラメンコ道”も、教えてくれるところで、道場に入る時の心得みたいなものも教えてくれていました。

その一つが、ガム。だったわけです。

 

厳しく言われるにもかかわらず、破りたくなるのが、校則、というものなのか、舞踊学校の生徒さんは、よく、口の中にこっそりガムを忍ばせて、レッスンを受けます。

 

しかし、ことごとく、マリキージャ先生は見破り、

「ガムを捨てるか、貴方が、教室の外に出るか、どちらかにしなさい!」 と、教室中に響く声で注意され、恥をかくことになるのです。

 

なぜ、その話になったかというと、この前、子供達を指導しているキカを見ていたら、全く、同じことを子供達に言っていました。

ほぼほぼ、トーンもマリキージャ先生並みで、優しいキカにしては、なかなか声を張って、厳しくガムを忍ばせている子供を注意していたのです。

 

「今や、キカも、貴方の意思を継いで指導していますよ」 と私が言ったら、マリキージャ先生は、大声で笑いだしました。

 

キョトンとしている私に、

「長年、数え切れないほどの子供達を育ててきたけれど、キカは、ガム隠しのチャンピョンと命名するわ」と。

 

「え?」

つまり、マリキージャにいかに、口の中のガムがバレないか、キカは、かなり懲りずに、チャレンジしたようです。しかし、たいていの場合は先生にみ抜かれたそうです。

見抜かれて注意されたときのキカの態度が爆笑なんです。

 

普通は、「教室を出なさい。」か、「ガムを捨てて来なさい。」なんですが、

キカはバレた瞬間、顎をちょっと突き出して、毎回ガムを飲み込んでしまい、

「私、ガム食べていません」 と、口を開けたそうです。

 

そんな、ガムを飲み込んじゃう技を使う子はなかなかいなかったそうで、

「一体、どのくらいの量のガムを、あの子は、飲み込んでしまっているのだろうと思ったわよ!そんな、あの子が、今、同じように指導しているとは!!!!! 」

と、面白おかしく、でも、なんだかとっても嬉しそうに、話してくれました。

 

 

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亜哉子とキカ プライベートショット!

 

キカは私の尊敬するダンサーでもあり、大親友でもあるので2回に分けて語らせていただきます!

 

次回のキカ・ケサーダVol.2をお楽しみに!

 

2020年1月5日の横浜赤レンガ倉庫 グラナダフェスティバル!!

THE FLAMENCO TSUNAGUのブログ管理人のHIROです。

ここ数日なんだかバタバタしていて、メンバーのプロフィールもアップしていきたいのですが追いついてなくてごめんなさい。。。

 

なんで忙しかったっていうと…

横浜赤レンガ倉庫で開催するグラナダフェスティバルの準備をコツコツとやってました

 

皆さんに手作りながらもグラナダ感、スペイン感を味わっていただけるよう試行錯誤しています。お楽しみにしてくださいね!

 

今日は少しどんな内容になるのかお話しします

 

まず、赤レンガ倉庫の階段を上ると通常は受付のようなスペースになっているのですが、そこはスペインを思わせるグッズが!

コレクションする人もたくさんいるご当地土人形たち、鉄のアーティストTOMOE WHOLLYSさんの作品たち、ワインやスペイン製のポテチなども販売予定です

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ご当地土人形 グラナダ

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Tomoe WhollysさんのGranada(ザクロ) かわいい!




そしてとところどころにグラナダに関係のあるアート作品がある回廊を抜け、ホワイエへ! そこにはミニバルが展開します

目玉は、グラナダの郊外にある山間の村トレベレスで手作りされている生ハム!!

切りたての生ハムを挟んだサンドイッチやアルハンブラビールが楽しめます!

お子様もきっとトレベレスの生ハムの味のとりこになってしまうはず!

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トレベレス産生ハムのサンドイッチ

 

スペイン産の珍しいフレーバーのポテチやオリーブなどの軽いおつまみも出せたらなあと今頑張っています!

 

ホワイエまでは、当日どなたでも無料でおはいりいただけます

 

肝心のフラメンコはというと

午前1回 午後1回の2回はお子様大歓迎のフラメンコ体験ができるフラメンコショー

THE FLAMENCO TSUNAGUのグラナダメンバーのショーと直接アーティストから簡単な振りとかっこよくオレ!とか掛け声かけれちゃうようになるミニワークショップ

保護者同伴の小学生はなんと無料で体験してもらおうという太っ腹企画です 

たくさんの子供たちにフラメンコを身近に感じて楽しんでもらいたいという思いの詰まった企画です

 

そして夜公演は横浜の赤レンガ倉庫がグラナダのタブラオになる瞬間です!

1部2部の間で、生ハムつまみながらワインを楽しめる感じを演出できたらなと画策しています

 

手作り感満載のイベントになるかと思いますが、今から1月5日は横浜赤レンガ倉庫へとメモっておいてください!

 

ということで、こんな準備をあたふたとやっていたので肝心のメンバー紹介が、遅れていてすみませんという言い訳でした (笑)

 

次の回は、THE FLAMENCO TSUAGUメンバーの花 KIKAさんの紹介をしたいと思っています とても美しく近寄っちゃいけない感じが一見するのですがとてもお茶目でかわいい女性なんですよね~ 小さいときのエピソードも思わず笑ってしまうと思いますよ 

お楽しみに!

 

#横浜赤レンガ倉庫 #グラナダ #フラメンコ #フェスティバル  

THE FLAMENCO TSUNAGUのメンバー ラファ!

THE FLAMENCO TSUNAGUの座長 亜哉子です。

柴崎さんが、自然と涙がこぼれた舞踏との出会いは衝撃的でしたね~。

 

フラメンコチームの素顔も知っていただきたく、メンバー全員に、同じ質問を投げかけてみました。

 

質問は・・・

『あなたとフラメンコの出会いは、いつでしたか?』

『プロになろうと思ったのはいつでしたか?』

『あなたの、尊敬する人は、誰ですか?(家族でも、スポーツ選手でも構いません)』

の3つです。

 

それぞれ個性的な答えがかえってきていますよ!

 

 

まずトップバッターは、踊り手のラファエル・マルトスさん。

 

ラファエルは、かなり前からフラメンコの公演や、教授活動などを日本でも行っていて、私も8-9年くらい前に、知人の紹介から日本で踊りを見てもらったのが初めての出会いでした。

 

えらい辛口の評価を受け、くらっとしました・・・

良く考えてみると本当の事しか言っていないラファエルに、尊敬の念を抱き、それから今に至るまで彼からフラメンコを習っています。(クラスは、非常に厳しいです 汗)

 

私の現在の先生は、グループメンバーのラファエルとキカです。

キカについてはまた改めて・・・

 

さてラファエルさんですが、TSUNAGUプロジェクトメンバーの踊り手。

 

メンバー紹介ブログ(相関図付き)にも、ありましたが、踊りは、まず正統派ですが、ダークで哀愁一杯。ちょっと近寄りがたいといういう印象を与えますが、本人は、大変気さくで、子供になつかれます。

 

自然と動物と鳥とサッカーが大好き。フラメンコやる前は、サッカー選手になれるかも?しれないくらいの、地域でちょっと目立ったプレーもできる人だったようです。

 

大の親日家で、大好物は、アサヒスーパードライと枝豆のセット。

PR撮影の日には、張り切って、日の丸入りの、錦織圭選手サイン入りのポロシャツを着てくる人です。(笑)

(的を得てるのか、得てないのか、、、私的には、スペインらしい、または踊り手らしい感じの服装で攻めてきて欲しかった・・・)

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錦織圭選手サイン入りユニクロを着たラファエルさん

 

ラファエル少年、中学生の頃に遡ります。

お父様は、なんと、闘牛士をしていらした方でしたが、この時期、お母様が他界されたりしたことで、家庭の事情が大きく変わり、男手一つで、ラファエルを育てる為に、闘牛の世界から抜けることを決意したそうです。

闘牛界とフラメンコ界は、繋がっていまして、ひょんなことから、お父さんの友人に、息子さんに、フラメンコを習わせてみたら?と勧められ、ラファエルは、基礎を始めたそうです。

 

身体能力の高いラファエル少年は、みるみる上達し、その時代の有名なフラメンンコアーティストのマネージャーなどの目にとまったそうですが、まだ、中学生~ですから、仕事を始めるわけにもいきませんね。

そのまま、国立芸術舞踊高等学校に進み、そこで、スペイン舞踊の学位を取得します。

 

スペインでは、バルセロナオリンピックが開催され(1992年)、有名舞踏家、クリスティーナ・オヨス舞踊団が、開会式で踊ったのですが、その舞踊団に、ラファエル少年は、見事、選抜されて踊っています。

 

17歳になると、一人立ちをして、フラメンコの仕事を地方で始めたそうです。(イビサ島やなどおイベントが多いところなどに出向いていたそうです。)

 

ただ、フラメンコの本質を本格的に知ったのは、マドリードに住み始めた時だそうです。

 

タブラオという、フラメンコを見せる専門のお店やレストランがマドリードには沢山あります。フラメンコ発祥のアンダルシアには、アンダルシアの原石のようなフラメンコが沢山ありますが、マドリードは、何と言ってもスペインの首都、つまり、東京と同じですから、一旗揚げたいアーティストが集まる刺激的な街です。

一流アーティストはその時代、マドリードに集まっていました。

 

そこで、そんなアーティスト達と、毎晩、毎晩、踊って本質的な本当のフラメンコを身につけたそうです。

 

沢山の興行主の目に止まり、ラファエルは、自身の舞踊団を持つまでになります。

スペインもバブル期で、経済も元気でした。

 

時は流れ、ここ10年ほど、スペインのバブルは弾け、ベテランアーティストでも、なかなか厳しい時代が続いています。それに加え、アーティスト活動は半年や1年は、家に帰れないことが当たり前。若きラファエルは考えた挙句、収入の安定した仕事を始めまル決意をします。

 

それでいいの?と私もびっくりしたりしましたが、彼にとっては、人に媚びたり、安くしても良いから、希望通りの演目をやるから踊らせてくれ、というこの時代なら、踊らなくも良い。と決断したのだそうです。

 

それくらい彼には、踊りが大事だと言います。踊らなくても、彼のフラメンコの本質は変わらないのだと言います。

 

そんなラファエルが、このメンバーだったら、無条件でフラメンコをやってしまいたい。と、久しぶりに思えたのがこの、”THE FLAMNCO” のメンバーなのだと言います。

 

ラファエルは、フラメンコチームのリーダー的存在、構成を担当してくれています。

 

そんなラファエルが尊敬する人、夢の中でも逢いたいフラメンコアーティストは、

ずばり、踊り手ではなく、

     歌い手の「カマロン・デ・ラ・イスラ」 と

      ギタリストの 「パコ・デ・ルシア

 

あらら、この2人の名前は、このブログにも既に、登場しましたね。

(”座長亜哉子のジャニーズ以外のアイドル”編で、登場しますね)

 

因みに文章中に出てきた クリスティーナ・オヨス 

これは私の永遠の恋人 アントニオ・ガデスと一緒の映像がたくさん見てます!

https://www.youtube.com/watch?v=pTVqfCPq_CE

 

踊りだけ見ると近寄りがたい感じがしますが、本当に気さくなお人柄なので、公演の会場で見かけたら、声をかけてくださいね。

 

ワンポイントスペイン語

こんにちは~!英語のHello ! は、Hola ! (オラ!)です。

How are you? は、¿Cómo estas? ( コモ エスタス?) 

もっと短く ¿Qué tal?  (ケ タル?)でもOK

会話が続かなかったら、Goodbye ! は  Adios! ( アディオス) (笑)

カナカナ読みで大丈夫!

 

では、また次回まで! Adios !

 

#rafaelmartos #Camaron de la Isla #Paco de Lucia #THE FLAMENCO #TSUNAGU

 

 

 

 

舞踏家柴崎さんが舞踏に取りつかれた作品とは?

THE FLAMENCO TSUNAGUのブログ管理人のHIROです。

前回のブログはTSUNAGUプロジェクト公演の舞踏家柴崎さんが、最初に舞踏を観たときのことを書いてくれました。 

今回は柴崎さんの心を捉えた作品を紹介してくれます。

出てくる演目や名前は、ググっても詳しいことは出てきませんので、何も難しいことは考えずに、柴崎さんの文章で舞台で繰り広げられていた世界を想像してみてください。パッヘルベルのカノンを聴きながら~♪

 

         「狐のコン」   柴崎 正道

 

私が舞踏の核心に触れたと心底感じた舞台がある。それは、ダンス・ラブ・マシーンという舞踏集団による1980年代始めの公演「狐のコン」である。

その演目のひとつに私は震撼し、舞踏の持つ表現力に取り憑かれた。

 

男がひとり佇んでいる。男は白い幅広の帽子を浅く被り、上はややくたびれたグレーのシャツに、黒色のスラックスという出で立ちだった。足は裸足である。

 

舞踏と言えば、体を粉白粉で白く塗るのが恒例だが、男は全身を白塗りにしていない。白塗りにすると、体温が冷却され客席とは体温の落差ができるのだが、巣の肌だと体温はそのまま客席に伝播し、逆に演者の熱量が客席を凌駕するように感じられる。

 

舞台にこぼれるように流れた楽曲は、かの有名な「パッヘルベルのカノン」である。

男は、流麗な曲の調べに合わせ、思い出すようにわずかに身をよじらせる。男の顔は、微妙な歪みを表面に浮かび上がらせる。その歪みは、苦しみではない。痛みでもない。泣いているわけでもない。じっくりと追ってみるが、何から生まれた歪みなのかはわからない。今まで経験したことのない、いくつもの感情が居場所を求めているような表情である。

 

男は身をよじらせ、その振幅を増幅させる。その振幅の意味するところも不明である。

もはや意味は、浮遊する具象となり、意識の埒外で戯れに揺らいでいるのみである。

だが、男の身のよじれはそれを観る私の内奥に執拗な持続を持って語りかけてくる。

男は、ヘソを丸裸にしつつ、シャツの縁を口に咥え、シャツが造形する皺にまみれながら、ついに仄かな微笑みに転化した、慎しみ深い歪みの表情を放射するのに一心である。

 

はにかむような、狂おしい偏向に満ちた表情と悶えるような身のねじれに身を任せた男と客席にいる私とが一体となった感に圧倒された。

その刹那、あたりから何やら微かな啜り泣きの声が聞こえてきた。それは、実際にひとりの微かな啜り泣きであった。しかし、それはもはや私の周辺で際限なく起きる啜り泣きの連鎖だった。

 

気がつくと、私の両の瞼から、大粒の涙がこぼれ落ちていた。

涙を流す感情の前触れとなる高まりもなく、いきなり涙したのはこの時が初めてであり最後である。

男の名は、「田村哲郎」。1991年に41歳で他界した。

 

 

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#舞踏 #柴崎正道 #ダンス・ラブ・マシーン

柴崎さんの舞踏との出会い

THE FLAMENCO TSUNAGUブログ管理人のHIROです 

前回は、我がTHE FLAMENCO TSUNAGUのメンバー紹介を簡単にさせていただきました。

TSUNAGUは FLAMENCO X 民謡 X 舞踏 のメンバーで構成されているのですが、おそらく舞踏が一番「何?」と思う人が多いかもしれませんね。

 

そこで舞踏家柴崎さんが、舞踏との出会いから… を書いてくれました。

本当に何がやりたいのかわからなかった大学生の柴崎さんが、偶然舞踏に出会う。その先、柴崎青年は… 早くその先が知りたいそんな内容の柴崎さんの手記お楽しみください!

 

『初めて出会った「舞踏」なるもの』  柴崎 正道

 

私が、初めて舞踏を観たのは、大学2年の夏である。

 

それは、唐十郎率いる状況劇場で怪優として名を馳せた麿赤兒が創設した「大駱駝艦」の公演であり、「貧棒な人」という人を喰ったタイトルのもとに上演されていた。

 

以下、正確な公演の再現とは言えまいが、当時の印象の記憶を綴ってみよう。

 

舞台照明は、暗闇が舞台空間を優先的に侵食しているかのように仄暗いなかで、静かに息を潜めているような薄明かりが点いては消え、ついては消えする。

つまり、暗闇が主役であると訴えるかのような灯りである。それは、幼い頃、よく遊んだ納戸の中の暗がりを私に思い出させた。

そんな暗闇になかば溶けたような輪郭を持つ“からだ”らしき塊が仄白く浮き上がる。仄白いその肌には、汗が滴り、薄暗い光を放射状に反射している。

呼吸をしているような灯りに照らされ、暗闇に浮き出た肌の蠢きを目にすると、それがようやく“ひと”であることがおぼろげにわかってくる。

あたりには、菊の花のような香気が黴(かび)にまみれたような鼻をつく匂いが満ちている。あとでわかるのだが、それは演者が肌にはたいた粉白粉の匂いである。

ここに至って、私の脳が初めて目にするものに困惑しているのではないかと感じる。

頭では理解できていない何かが目の前に現れたことで、驚愕から来る軽い虚脱感に見舞われているのかもしれない。と同時に、いつしか両腕の鳥肌がたったと思う。目の前で揺らめく存在の芯が直接私の皮膚に訴えてくるのだ。

舞台に立つ白粉まみれの“ひと”は、強烈に何処かを見つめていた。

そのひとは、確かに立っていたが、わずかに歩みを進めているようにも見えた、が、それを凝視していた私の意識は、あまりにもたおやかな歩みの遅速さに、とろりとした睡魔の誘惑に浴していた。ひいては、不覚にも瞼を閉じ、しばし脳内の暗黒に身を委ね、夢ごごちに寝入ってしまったのである。が、“ひと”はほぼ同じ場所に同じように立っている。やがて、唐突の目覚めを経て感じた、深い心地よさからして、それなりの時間経過があるはずだが、目の前の情景は何ら変わっていないようだ。

やがて、舞台は賑わいの頂点に達した。

禿頭、眉は剃り、ほぼ全裸で白塗りの出で立ちで現れた男女が、白眼で大勢蠢いている。

あるものは不動の態であり。あるものはひきつけを起こしたかのように激しく痙攣(けいれん)をする。

ここに至って、人間の正体は歴然として暴露される。滑稽の純粋な塊であることによって、絢爛(けんらん)たる威厳に満ちた、その正体が言いしれぬ恐怖をもたらすのと同時になぜかどこかにおき忘れてきた郷愁であることを、“ひと”が強烈に放射していたのだ。

 

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柴崎正道さん

 #舞踏 #柴崎正道 #大駱駝艦

THE FLAMENCO TSUNAGUプロジェクトメンバー紹介!

THE FLAMENCO TSUNAGUプロジェクトブログの管理人HIROです。

 

これまで座長からメンバーについて、ちょこちょことコメントがありましたが、もう少し詳しく紹介していきたいと思います!

 

まず連続ドラマさながらの人物相関図をご覧ください。座長亜哉子を中心とした今回のプロジェクトに大きくかかわる方々をまとめてみました。

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まず私と座長亜哉子は、ひょんなことからフラメンコとは全く関係ないお仕事で知り合いになり、ついここ2-3年で彼女の本業がフラメンコダンサーだということを知った次第です。彼女の踊りを初めて観たのはもう3年近く前になるかな… 錦糸町でのライブでした。その時に、彼女の師匠であるラファエルと舞踏家柴崎さんも出演していました。

 

フラメンコのことをよく知ってるわけではない私ですが、数は結構観ています。座長の踊りは、フラメンコが好きだという気持ちがめちゃくちゃ感じられ、誰のものでもなく唯一無二の亜哉子のフラメンコを見せつけられ、とても印象に残る踊りでした。

 

同じ舞台で観たのが、ラファエルと舞踏家の柴崎さんの共演でした。私は舞踏というものがどういうものなのかも知らず、なぜ柴崎さん全身白いんだろう…と思いながらも、柴崎さんがラファエルと光と影のようになって舞台で舞っているのが強烈な印象で目が離せませんでした。一緒に連れて行った息子(当時5歳)も目を見開いてみていました。

 

終演後、一番最初に息子が一緒に写真撮りたいと言ったのが、なんと柴崎さんだったのを今でも覚えています。

白塗りで怖がると思ったら、息子にとってはなんと一番印象に残った人だったのですね!

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それから何度か柴崎さんとお会いしていますが、寡黙な天才というか内に秘めているものがたくさんある人だなというのが私の印象です

 

ラファエルは、うちの息子と旦那ともども親しくさせていただいています。うちの息子にいつも「フラメンコやってみなよ」と声かけてくれますが、マイペースで現実主義の息子は「あんな難しいのは僕できない」ときっぱり。面白い会話です。

踊りは、ダークで哀愁一杯、ちょっと近寄りがたいなという印象を与えるのですが、ご本人はとても気さくで子供になつかれるタイプなんです。

 

キカとは、2年前私の会社の10周年記念の旅行で、お客様と一緒にスペインに行った際に、タブラオで踊ってくれた時に初めて知り合いました。第一印象は綺麗で美人でエレガント!

踊るとそのエレガントさの中に力強さがあり、私がうん十年前にグラナダの洞窟で観て圧倒されたおばちゃんのフラメンコをほうふつさせるのです。見た目は全く違うんですがね・・・ 我が座長とは全く違うタイプの踊り手さんですが、フラメンコ愛は一緒。決して現状に満足せず精進し続けている人なんじゃないかなという印象です。

 

唄のマヌエルは、一度だけこのプロジェクトの結集会であっただけですが、他のメンバーよりアンダルシアの特有の単語がでてくるので、アンダルシアに住んだことのない私は、気を抜くと会話を見失ってしまいます。(笑) 

どっしりと構えた吟遊詩人というのが私の勝手な第一印象です。

 

ギターのマルコスも結集会で一度会ったきりですが、一般的にいったらイケメンのグループへ入るのでしょうか?(人それぞれの好みはあると思いますが・・・) 

しかし、言動が親しみやすく、決して近寄り難いイケメンではありません。PRの撮影に、スポーツ選手が更衣室でシャワーの後に履くみたいなサンダルで来てしまうのでそのセンスが面白すぎます。 

彼の弾くトレモロ(チャラララ チャラララと弾くもの)は、なんか優しくてきれいで好きなんですよね~。私の勝手なイメージは、近所にいそうなギターの王子様。(矛盾??)

 

そして民謡の唄、あきみさんと三味線の矢吹さん。舞踏の柴崎さんを通じてこのプロジェクトに参加していただくことになったお二人。とてもすごい方たち。あきみさんの声は、クリスタルな感じなのに、太さもある個性のある素敵な歌声なんです。

矢吹さんの即興は圧巻。私の勝手な印象ですが、センスや言動などがギターのマルコスとめちゃくちゃ共通点があると思うのです。とにかく最強のご夫婦です。

お二人と知り合うことで、今更ながら日本の民謡の面白さとすごさに魅せられ始めました。

 

こんな個性豊かなアーティストが、意見をぶつけ合いながらいろいろ生み出していく姿を見ることができるのは幸せだな~と思うのです。

すごいエネルギーです。

 

次回は、柴崎さんが舞踏との出会いについて書いてくれるそうです。

楽しみ~。

座長亜哉子のジャニーズ以外のアイドル

THE FLAMENCO TSUNAGUのブログ管理人のHIROです

我が座長は今でもジャニーズ好きで、スペインの人たちを車に乗せるときにも嵐をかけてしまうのには驚きなのですが、とにかく好きになるととことんそれについて調べたり、聞いたりする性格には頭が下がるのです。

だからこのTHE FLAMENCO TSUNAGUの個性豊かなメンバーに和をもたらしているんじゃないかなといつも思います

その座長が、本職フラメンコでアイドルとして愛してやまない偉大なアーティストたちがいます。(もちろん一番愛するのは前にも書いたアントニオ・ガデスです)

今日はそのことについて語ってもらいました

 

座長の亜哉子です

 

今回は、25年前のグラナダの思い出を書いてみます。

1995グラナダです。

 

その頃、サクロモンテの丘という、アルバイシン地区の横のヒターノ地区(ジプシー/流浪の民)は、夜な夜な、ショーを上がった地元のアーティスト達が集まり、夜中の2時から朝にかけて、彼らの本気唄が聴けたりするチャンスが多々ありました。

 

私は、友達が居なかった訳ではありませんが、そんな夜中まで付き合えないといわれ、かなりの割合で一人でサクロモンテに入り浸っていました。

 

当時は、物価も安く、ポケットに2千円~3千円あれば、ライブに行き、お酒を飲んで、朝は、チューロス(甘い揚ドーナツ)を食べても、ちょっとお金が余りました。

 

ヒターノ地区なので、ヒターノ率が高く、彼らに、あれを聴け、これを聴けと、教えてもらったりしてました。

 

ヒターノ達の神、カマロン・デ・ラ・イスラ1950125日~199272日)という歌い手は避けて通れません。

歌声が聴ける映像です

https://www.youtube.com/watch?v=7xvEhUTrW_E

 

ペーニャ(フラメンコ愛好会の集まるコアな集会所)には、このカマロンの手作り感満載の石膏像が置いてある確率が多く、どこにも置いてあるし、”これは誰” と、たどたどしいスペイン語で聞いたものです。

 

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皆のジェスチャーから、ただ者ではないと思うと、アルバムの名前や曲名をメモして帰り、次の日、CDを買いに行ったりしていました。

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当時買い集めたCD

 

カマロンは、彼らのアイドル、神、でしたが・・・

 

さあ、大変、私がスペインに着いた、3年くらい前に亡くなってるんですね。

偶然、72日(カマロンの命日)に何も知らずにサクロモンテで飲んでいた私は、夜が更けるにつれ、ヒターノ達がどんよりしてくるのに気がつきました。

 

歌うのは、カマロンの歌ばかり。泣いているヒターノもいますし

『君の国では、魂はどこに行くって説明してるんだ?カマロンの魂がどこに行ったか教えてくれ』 

と言われたのは、忘れられません。

 

その頃の彼らのファッションはイキ切ってる感じで、長髪で、金のアクセサリーをジャラジャラつけている人が多かったです。

 

ヒターノ達のギタリストのアイドルは、トマティーというやはり長髪のイケメンでした。

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トマティートのアルバムジャケット

ヒターノに対して、彼らの言葉でヒターのではない人たちのことをパジョ(非ヒターノ)という言葉があります。

もう一人のスーパーギタリスト、パコ・デ・ルシアは、彼らが言うには、

『パジョなのに、すごい奴がいるから聞いたほうがいい。』

という面白いコメントがあったりしました。

 

パゴ・デ・ルシアとカマロンの音源がきけます

https://www.youtube.com/watch?v=3KZyy8Oc1QA

 

彼らは“ソウル”のある音、“黒い音”を好みました。

 

吾愛さんの「フラメンコの楽しいトリセツ」第一弾にあったように、国内には、ヒターノへの差別は確実にありました。

他所から流れてきた彼らには、3K、4Kの仕事しかありません。代表的なのは、そのちょっと前の時代は、炭鉱でした。

 

スペインの東側の海岸地帯には、炭鉱が多く、その辛い、辛い、仕事の事を歌ったメロディや、唄が、あります。歌詞の例として

 

『毎日、毎日、この暗い洞窟の中で登ったり、降りたりしてるだけ、神様はいつ、僕を解放してくれるのかな』 とか

 

『昨日、炭鉱で音がした。俺の弟は、もう居ない。。。昨日の音の後。。。』

炭鉱が崩れたのでしょうね。。。。

 

19952000年、スペインは、ヨーロッパ統合に向かい、なんとなく、生活も変わってきたかな?と思った頃、ヒターノ達の中に、髪を切る人が多くなりました。

 

単に、長髪が流行っていたとも取れますが、ヒターノ達が、ヒターノらしく居られない時代が近づいてきたのでしょう。

もう、籠を編んだり、鉄を打ったりするだけでは、生活ができない。

炭鉱も減少します。

企業に属してで働くしかないのです。

あるヒターノは髪を切ってきて、私に言いました。

『どうだ?これで、パジョっぽく見えるだろ?明日、ビール工場の面接に行くんだが、髪が長いとヒターノだからと一次面接で落とされちまうからな』

 

ヒターノ達の仁義 ”シャツ破き”(Rompe camisa)を見たのも、この頃です。

 

彼らの結婚式などでは、今でも、行われていると思います。

最高に嬉しい時に、自分のシャツを引きちぎります。

 

私が見たのは、サクロモンテで朝方、ものすごい唄のバトルになったとき、一方が、もう一方のものすごい域の唄にひれ伏す代わりに、

『あんたの唄は最高』という思いを込めて、自分のシャツを引き裂きました!

 

私にとっては衝撃的でしたが、周りは、意味を知っているので、

私だけ『どうした?何があった?』とは、騒げず、えらいドキドキした記憶があります。

 

カマロンの有名な曲に、タイトルもズバリ、「俺はヒターノ」という曲があり、

『俺は、お前の結婚式に来た。俺はヒターノ。たった一枚しかないシャツを破くんだ』

てな具合です。(意訳)

 

シャツが一枚しかなくても、それがどんな高級な生地でも、破くんです!

 

さて、あれから、25年経ちました。カマロンが亡くなってからは、27年?ですか?

 

今月の2日、夜の3時半くらいに、THE FLAMENCO TSUNAGUメンバーの唄い手、マヌエルから、メッセージが届きました。

そこには、カマロンの写真。。。。。 

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マヌエルがカマロンの命日に座長に送った写真

カマロンの命日でした。そう、マヌエルの神は、何十年経っても、カマロンなんです。

 

マヌエルには、もちろん敵いませんが(笑)カマロンは、私の神でもあります!

                             BY AYAKO