グラナダのフラメンコの伝統を守り続ける踊り手 キカ・ケサーダとはどんな人? Vol.1
THE FLAMENCO TSUNAGUブログの管理人HIROKOです
私がこの公演プロジェクトにかかわるきっかけになったひとつがキカさんの踊りを見たことです。
お客さんと一緒にスペインの旅をしたとき、キカさんの踊りをまじかで観ました。フラメンコを観たことある人もない人もくぎ付けで、ショーの後はみんなにちょっとフラメンコの振りをちょっと教えてくれたりで、「ああ フラメンコまた観たい!!」という気持ちになりました。これは私が20云年前、初めてスペインに行きグラナダの洞窟でフラメンコを観たときの気持ちと一緒だったんです。
そんなキカさんがメンバーの公演お手伝いするしかないでしょ!ということで今になります。我が座長亜哉子さんはキカさんとは長い付き合いで大親友でもあります。
座長にキカさんの紹介をしてもらいましょう。
座長の亜哉子です。
キカのどこを切ってもフラメンコしか残らないのです。小細工は一切ありません。
私は実は、彼女の踊りは、私がスペインに来た時から、25年見て来ています。ずっと彼女はブレません。
彼女の踊りは、彼女の心が、彼女の肉体を通して表現されているだけのピュアなもので、若いのに、あんなに綺麗なのに、ベテランのヒターナ(ジプシー)のおばちゃんのような味わいや、懐かしさ、古いフラメンコの伝統を感じられます。
そして、彼女の人生が、人間が、年輪のように積み重ねられていくごとに、彼女の踊りはどんどん良くなっていっていると感じます。人生に関しても、踊りに関しても進化と努力をし続けるからなのでしょう。
つい、力説してしまいましたね。笑。
私の親友で、私の尊敬するアーティストなのでして。キカとは、先ほど書いたように、25年間前から知ってはいましたが、7~8年前、マリキージャの舞踊団で海外公演に行った時から、距離が縮まり、その頃、色々な意味で人生の転機で、踊り自体も続けることを迷っていた私をさりげなく支えてくれていたのは、キカでした。
親友であるから言うわけではないのですが、とにかく彼女の存在そのものが、フラメンコ。だから、踊ってもフラメンコが滲み出るのだと思います。
フラメンコは、工夫して、頑張って、演奏したりするものでは無いと感じています。もちろん、それに伴う、テクニックというものは、努力し身につける必要はあります。
前置きが長くなりました。
キカの家は、両親とも、フラメンコ愛好家だったそうで、特に、お父さんのフラメンコ熱はすごかったそうです。
アンダルシアには、たまに、こういう家族がいます。昔のアンダルシアは、このような家庭が多かったので、両親どちらかがアーティストでなくても、そんな家庭から、アーティストが育ったりします。
お父さんは、24時間、フラメンコを聞き続けていた方だったと言います。
なので、小さいキカは、
ローレとマヌエル (夫婦でフラメンコを70年代から歌っていた)
エル・チーノ・デ・マラガ (こんな人です。https://www.youtube.com/watch?v=HpDW5qK4Xmw )
パンセキート。(こんな歌声の人です https://www.youtube.com/watch?v=i3b5EJ0jbGI&list=PLwYSg1iVOUKj-RAScXb2w4ZFEH4vbeBid&index=1 )
テレモト。(こんな歌い手さんです https://www.youtube.com/watch?v=oxLKNjdzqVA)
を聞いて育ったそうです。
なるほど。フラメンコの歌の話をキカとすると、たまに、えらい渋くて古い人の歌の話をするのは、やはり幼少時代聞いていたからなのですね。
(日本に置き換えてみると。若いのに、やっぱり歌は、美空ひばりよね。みたいな、会話になるわけです。笑)
キカ、5歳の時、ご近所にマリチューという、踊りの達者な女性がいて、彼女のお婆様の家のサロンに、近所の子供を集めて踊りを教えていたそうです。キカのお母さんが、そこにキカを連れていくようになったのが、踊りを始める全てのきっかけだったそうです。
キカの踊りの才能は小さな頃から素晴らしかったようで、12歳で、グラナダ市の舞踊団に選抜され、グラナダの村々の祭りを全部回るというのが、踊り手としての最初のお仕事でした。
12歳だと、まだ、小学校6年生とか、中一ですよね。
仕事に行くには、ご両親のどちらからは必ず引率しなくはいけないですから、家族の協力が必須だったということです。
(車で2時間~3時間かけて行かなくてはいけない村々は、沢山あります)
さて、このマリチューさんは、大変正直な方のようで、子供の中で才能のある子がいると、グラナダの踊る人間国宝、マリキージャ先生のところに連れて行くそうです。
「自分はもう教えることがないから、この子を伸ばしてあげてください」と。
キカも、そんな子供の一人だったでようです。
マリチューのクラスからマリキージャ学校へ行くようになったキカのかわいいエピソードがあります。
この話は、キカが私に話してくれた内容ではないけど、紛れもなくキカの話。
キカのスピンオフ物語です。
お世話になったマリキージャ先生に、久しぶりに私の近況や来年の日本公演の話など報告に行った時のことです。
昔話も、飛び交い、楽しいひと時を過ごしたのですが、そんな中で、マリキージャ学校の鉄則について話題になりました。
今も、昔も、マリキージャ舞踊学校は、ガム禁止です。
ガムに限らす、マリキージャ学校は”フラメンコ道”も、教えてくれるところで、道場に入る時の心得みたいなものも教えてくれていました。
その一つが、ガム。だったわけです。
厳しく言われるにもかかわらず、破りたくなるのが、校則、というものなのか、舞踊学校の生徒さんは、よく、口の中にこっそりガムを忍ばせて、レッスンを受けます。
しかし、ことごとく、マリキージャ先生は見破り、
「ガムを捨てるか、貴方が、教室の外に出るか、どちらかにしなさい!」 と、教室中に響く声で注意され、恥をかくことになるのです。
なぜ、その話になったかというと、この前、子供達を指導しているキカを見ていたら、全く、同じことを子供達に言っていました。
ほぼほぼ、トーンもマリキージャ先生並みで、優しいキカにしては、なかなか声を張って、厳しくガムを忍ばせている子供を注意していたのです。
「今や、キカも、貴方の意思を継いで指導していますよ」 と私が言ったら、マリキージャ先生は、大声で笑いだしました。
キョトンとしている私に、
「長年、数え切れないほどの子供達を育ててきたけれど、キカは、ガム隠しのチャンピョンと命名するわ」と。
「え?」
つまり、マリキージャにいかに、口の中のガムがバレないか、キカは、かなり懲りずに、チャレンジしたようです。しかし、たいていの場合は先生にみ抜かれたそうです。
見抜かれて注意されたときのキカの態度が爆笑なんです。
普通は、「教室を出なさい。」か、「ガムを捨てて来なさい。」なんですが、
キカはバレた瞬間、顎をちょっと突き出して、毎回ガムを飲み込んでしまい、
「私、ガム食べていません」 と、口を開けたそうです。
そんな、ガムを飲み込んじゃう技を使う子はなかなかいなかったそうで、
「一体、どのくらいの量のガムを、あの子は、飲み込んでしまっているのだろうと思ったわよ!そんな、あの子が、今、同じように指導しているとは!!!!! 」
と、面白おかしく、でも、なんだかとっても嬉しそうに、話してくれました。
キカは私の尊敬するダンサーでもあり、大親友でもあるので2回に分けて語らせていただきます!
次回のキカ・ケサーダVol.2をお楽しみに!