柴崎さんの舞踏との出会い
THE FLAMENCO TSUNAGUブログ管理人のHIROです
前回は、我がTHE FLAMENCO TSUNAGUのメンバー紹介を簡単にさせていただきました。
TSUNAGUは FLAMENCO X 民謡 X 舞踏 のメンバーで構成されているのですが、おそらく舞踏が一番「何?」と思う人が多いかもしれませんね。
そこで舞踏家柴崎さんが、舞踏との出会いから… を書いてくれました。
本当に何がやりたいのかわからなかった大学生の柴崎さんが、偶然舞踏に出会う。その先、柴崎青年は… 早くその先が知りたいそんな内容の柴崎さんの手記お楽しみください!
『初めて出会った「舞踏」なるもの』 柴崎 正道
私が、初めて舞踏を観たのは、大学2年の夏である。
それは、唐十郎率いる状況劇場で怪優として名を馳せた麿赤兒が創設した「大駱駝艦」の公演であり、「貧棒な人」という人を喰ったタイトルのもとに上演されていた。
以下、正確な公演の再現とは言えまいが、当時の印象の記憶を綴ってみよう。
舞台照明は、暗闇が舞台空間を優先的に侵食しているかのように仄暗いなかで、静かに息を潜めているような薄明かりが点いては消え、ついては消えする。
つまり、暗闇が主役であると訴えるかのような灯りである。それは、幼い頃、よく遊んだ納戸の中の暗がりを私に思い出させた。
そんな暗闇になかば溶けたような輪郭を持つ“からだ”らしき塊が仄白く浮き上がる。仄白いその肌には、汗が滴り、薄暗い光を放射状に反射している。
呼吸をしているような灯りに照らされ、暗闇に浮き出た肌の蠢きを目にすると、それがようやく“ひと”であることがおぼろげにわかってくる。
あたりには、菊の花のような香気が黴(かび)にまみれたような鼻をつく匂いが満ちている。あとでわかるのだが、それは演者が肌にはたいた粉白粉の匂いである。
ここに至って、私の脳が初めて目にするものに困惑しているのではないかと感じる。
頭では理解できていない何かが目の前に現れたことで、驚愕から来る軽い虚脱感に見舞われているのかもしれない。と同時に、いつしか両腕の鳥肌がたったと思う。目の前で揺らめく存在の芯が直接私の皮膚に訴えてくるのだ。
舞台に立つ白粉まみれの“ひと”は、強烈に何処かを見つめていた。
そのひとは、確かに立っていたが、わずかに歩みを進めているようにも見えた、が、それを凝視していた私の意識は、あまりにもたおやかな歩みの遅速さに、とろりとした睡魔の誘惑に浴していた。ひいては、不覚にも瞼を閉じ、しばし脳内の暗黒に身を委ね、夢ごごちに寝入ってしまったのである。が、“ひと”はほぼ同じ場所に同じように立っている。やがて、唐突の目覚めを経て感じた、深い心地よさからして、それなりの時間経過があるはずだが、目の前の情景は何ら変わっていないようだ。
やがて、舞台は賑わいの頂点に達した。
禿頭、眉は剃り、ほぼ全裸で白塗りの出で立ちで現れた男女が、白眼で大勢蠢いている。
あるものは不動の態であり。あるものはひきつけを起こしたかのように激しく痙攣(けいれん)をする。
ここに至って、人間の正体は歴然として暴露される。滑稽の純粋な塊であることによって、絢爛(けんらん)たる威厳に満ちた、その正体が言いしれぬ恐怖をもたらすのと同時になぜかどこかにおき忘れてきた郷愁であることを、“ひと”が強烈に放射していたのだ。
#舞踏 #柴崎正道 #大駱駝艦