座長亜哉子のジャニーズ以外のアイドル
THE FLAMENCO TSUNAGUのブログ管理人のHIROです
我が座長は今でもジャニーズ好きで、スペインの人たちを車に乗せるときにも嵐をかけてしまうのには驚きなのですが、とにかく好きになるととことんそれについて調べたり、聞いたりする性格には頭が下がるのです。
だからこのTHE FLAMENCO TSUNAGUの個性豊かなメンバーに和をもたらしているんじゃないかなといつも思います
その座長が、本職フラメンコでアイドルとして愛してやまない偉大なアーティストたちがいます。(もちろん一番愛するのは前にも書いたアントニオ・ガデスです)
今日はそのことについて語ってもらいました
座長の亜哉子です
今回は、25年前のグラナダの思い出を書いてみます。
1995のグラナダです。
その頃、サクロモンテの丘という、アルバイシン地区の横のヒターノ地区(ジプシー/流浪の民)は、夜な夜な、ショーを上がった地元のアーティスト達が集まり、夜中の2時から朝にかけて、彼らの本気唄が聴けたりするチャンスが多々ありました。
私は、友達が居なかった訳ではありませんが、そんな夜中まで付き合えないといわれ、かなりの割合で一人でサクロモンテに入り浸っていました。
当時は、物価も安く、ポケットに2千円~3千円あれば、ライブに行き、お酒を飲んで、朝は、チューロス(甘い揚ドーナツ)を食べても、ちょっとお金が余りました。
ヒターノ地区なので、ヒターノ率が高く、彼らに、あれを聴け、これを聴けと、教えてもらったりしてました。
ヒターノ達の神、カマロン・デ・ラ・イスラ(1950年12月5日~1992年7月2日)という歌い手は避けて通れません。
歌声が聴ける映像です
https://www.youtube.com/watch?v=7xvEhUTrW_E
ペーニャ(フラメンコ愛好会の集まるコアな集会所)には、このカマロンの手作り感満載の石膏像が置いてある確率が多く、どこにも置いてあるし、”これは誰” と、たどたどしいスペイン語で聞いたものです。
皆のジェスチャーから、ただ者ではないと思うと、アルバムの名前や曲名をメモして帰り、次の日、CDを買いに行ったりしていました。
カマロンは、彼らのアイドル、神、でしたが・・・
さあ、大変、私がスペインに着いた、3年くらい前に亡くなってるんですね。
偶然、7月2日(カマロンの命日)に何も知らずにサクロモンテで飲んでいた私は、夜が更けるにつれ、ヒターノ達がどんよりしてくるのに気がつきました。
歌うのは、カマロンの歌ばかり。泣いているヒターノもいますし
『君の国では、魂はどこに行くって説明してるんだ?カマロンの魂がどこに行ったか教えてくれ』
と言われたのは、忘れられません。
その頃の彼らのファッションはイキ切ってる感じで、長髪で、金のアクセサリーをジャラジャラつけている人が多かったです。
ヒターノ達のギタリストのアイドルは、トマティートというやはり長髪のイケメンでした。
ヒターノに対して、彼らの言葉でヒターのではない人たちのことをパジョ(非ヒターノ)という言葉があります。
もう一人のスーパーギタリスト、パコ・デ・ルシアは、彼らが言うには、
『パジョなのに、すごい奴がいるから聞いたほうがいい。』
という面白いコメントがあったりしました。
パゴ・デ・ルシアとカマロンの音源がきけます
https://www.youtube.com/watch?v=3KZyy8Oc1QA
彼らは“ソウル”のある音、“黒い音”を好みました。
吾愛さんの「フラメンコの楽しいトリセツ」第一弾にあったように、国内には、ヒターノへの差別は確実にありました。
他所から流れてきた彼らには、3K、4Kの仕事しかありません。代表的なのは、そのちょっと前の時代は、炭鉱でした。
スペインの東側の海岸地帯には、炭鉱が多く、その辛い、辛い、仕事の事を歌ったメロディや、唄が、あります。歌詞の例として
『毎日、毎日、この暗い洞窟の中で登ったり、降りたりしてるだけ、神様はいつ、僕を解放してくれるのかな』 とか
『昨日、炭鉱で音がした。俺の弟は、もう居ない。。。昨日の音の後。。。』
炭鉱が崩れたのでしょうね。。。。
1995~2000年、スペインは、ヨーロッパ統合に向かい、なんとなく、生活も変わってきたかな?と思った頃、ヒターノ達の中に、髪を切る人が多くなりました。
単に、長髪が流行っていたとも取れますが、ヒターノ達が、ヒターノらしく居られない時代が近づいてきたのでしょう。
もう、籠を編んだり、鉄を打ったりするだけでは、生活ができない。
炭鉱も減少します。
企業に属してで働くしかないのです。
あるヒターノは髪を切ってきて、私に言いました。
『どうだ?これで、パジョっぽく見えるだろ?明日、ビール工場の面接に行くんだが、髪が長いとヒターノだからと一次面接で落とされちまうからな』
ヒターノ達の仁義 ”シャツ破き”(Rompe camisa)を見たのも、この頃です。
彼らの結婚式などでは、今でも、行われていると思います。
最高に嬉しい時に、自分のシャツを引きちぎります。
私が見たのは、サクロモンテで朝方、ものすごい唄のバトルになったとき、一方が、もう一方のものすごい域の唄にひれ伏す代わりに、
『あんたの唄は最高』という思いを込めて、自分のシャツを引き裂きました!
私にとっては衝撃的でしたが、周りは、意味を知っているので、
私だけ『どうした?何があった?』とは、騒げず、えらいドキドキした記憶があります。
カマロンの有名な曲に、タイトルもズバリ、「俺はヒターノ」という曲があり、
『俺は、お前の結婚式に来た。俺はヒターノ。たった一枚しかないシャツを破くんだ』
てな具合です。(意訳)
シャツが一枚しかなくても、それがどんな高級な生地でも、破くんです!
さて、あれから、25年経ちました。カマロンが亡くなってからは、27年?ですか?
今月の2日、夜の3時半くらいに、THE FLAMENCO TSUNAGUメンバーの唄い手、マヌエルから、メッセージが届きました。
そこには、カマロンの写真。。。。。
カマロンの命日でした。そう、マヌエルの神は、何十年経っても、カマロンなんです。
マヌエルには、もちろん敵いませんが(笑)カマロンは、私の神でもあります!
BY AYAKO