THE FLAMENCO TSUNAGU「つなぐ」

2020年1月 フラメンコX日本民謡X舞踏 TSUNAGU公演 出演アーティストの素顔   

YOUやっちゃいなよ

THE FLAMENCO TSUNAGUプロジェクト ブログ管理人のHIROKOです。

女性ならジャニーズにはまったことがある方が多いのではないでしょうか?

座長亜哉子もジャニーズ好き! 座長亜哉子は昔の自分を振り返りながら、今回の公演を決断する経緯にもジャニーさんが生み出すアイドル達に大きく影響されていたことに気づいたそうです。亜哉子のジャニーさんへの思いをお聞きください。

 

THE FLAMENCO TSUNAGUプロジェクトの座長亜哉子です。

先日、ジャニー喜多川さんの訃報がありました。 

ジャニーズのタレントには、何十年も!! 夢を見させてもらいました。

 

ニュースを見ていて、私にもジャニーさんの『YOUやっちゃいなよ』 精神が自然と根付いていた事に気付きました。

私のやっちゃいました記録を良かったら聞いてください。

 

私は、才能も含め、普通人、一般的な人間です。

どちらかというと、学校では、ギリギリ、鈍臭い方に入るか、入らないか、のところにいました。

数学苦手、音痴では無い、足は遅いが、球技は得意な方、鉄棒は居残り組。

 

今、感謝すべきは、そんな私を知ってか、両親は、色々見せたり、経験させてくれたことです。

ピアノは10年通い、モーツアルトを弾けるようにはなりましたし、テニスを教えてくれて、高校時代は、神奈川の湘南地区で、私達のチームは、優勝したりしました。劇場が好きな両親は、月一くらいで、歌舞伎、劇団四季、バレエ、等、色々なジャンルに連れて行ってくれました。

(その一つが、アントニオ・ガデスだったわけです)

 

夏は山登り、冬はスキーに連れて行ってくれました。

テニスは、かなり深入りしましたが、足が遅いことは致命傷で、大学に入ってから、きっぱり諦めました。

 

この後、スポーツは諦めて、20歳の頃は、ラリーの世界を夢見て、親に借金をして、車を改造して、ラリーに出たりしてましたが、これも、鈍臭い人は、ダメですね…

早めに足を洗いました。実は、釣りのプロにもなれるんじゃないかと思い、やってみた時期もあります。

(釣り雑誌にて、年間3位に表彰されたことはありますが、それ以上は伸びませんでした)

 

だんだんこの頃からの、やっちゃいなよ、は、責任感が重くなってきます。日本で結婚するの?しないの?って時期もありました。

 

そんな頃、私は、フラメンコと再び再会し、夢中で踊っていました。

『YOUそんなに好きなら、出来るとこまでやっちゃいなよ』

私には、プロディーサーはいなかったので、誰かがジャニーさんのように背中を押してくれたわけではなかったのですが、常にジャニーさん精神で突き進みました。

そしてときめきが原点でした。(それは今でもです)

そこから、私は、なんと、30年近く、フラメンコと向き合っています。

 

フラメンコと離れたくない一心で、スペインで仕事を始めました。(通訳、ガイドとしての仕事を教えてくださった方々に感謝)

 

私にとってフラメンコと向き合うということは、自分を知ることです。

本当の自分と向き合うのは、大変苦しい作業です。

 

誰にでも、理想の自分っていうのが居ると思うんですよね。

で、本当の自分とのギャップに苦しむのではないでしょうか?私だけでしょうか?

 

30そこそこで父親を失い、40の時、母も失い、日本に実家も無くなります。

(その頃から、今も、葛飾の親友の家族に支えられ、日本と繋がりを保つことができました。感謝いたします)

 

もう、本当に、私が、踊らなくては、いけない理由なんて、ないんじゃないかな。(いや、最初から、そんなのはなかったのかも。笑)

 

何回も踊りを辞めそうにはなるのですが、フラメンコは、なぜか、私から、離れていきませんでした。

 

30年、大事にしてきたものは、人に対するリスペクトと、本当の自分でいること。

そしてその、本当の自分は、いつまでたっても、理想の自分ではないのだけれど。。。だから、色々、悩む事はあります。

 

去年かな。。。必死で外国で生きてきてしまった私に、久しぶりに『YOUやっちゃいなよ』 が聞こえました。

 

タイミングが色々合い、今の私の周りのメンバーの助けもあり、私の伝えたいことが伝わり、実現できる気がした時でした。

そして、この” TSUNAGU 繋ぐ~” 企画が立ち上がることになります。

私は、ジャニーさんじゃないから、人生もやり方も違うけれど、彼が、2回も戦争を体験して、戦争は繰り返してはいけない歴史だってことを伝えたかったことや、彼なりの、エンターテーメントの世界を築き上げたことや、タレントの育て方は、素晴らしいと思います。

『 YOUやっちゃいなよ』 って彼に言われた、ジャニーズタレント達が、今、涙を流してジャニーさんに感謝していますね。

 

私も、多分、死ぬまで、この精神は大事にしていこうと思いますし、未来の子供達には、言ってあげたい言葉です。

 

自分の生まれ故郷の横浜公演では、小学生以下は、無料にして、外国の文化に触れてもらいたい、世の中には色んな物があることを知って欲しいと思っています。

 

フラメンコの原点を見てもらって、フラメンコ演奏しなくても良いから、ファンになって欲しい。ファンが増えないと文化は育たないと思います。

 

スペイン語や、外国語に興味を持ってもらうも良いと思っています。

 

皆が、何か少しでも変えたいと思っていると思います。変えたいと思った時、何かが変わり始めてるんだと信じます。

 

私も、理想の自分は遠いけど、何歳になっても、諦めないで、開き直らないで、止まらないで進んでいこうと思います。

 

ジャニーさん、に追悼の意を込めて。お疲れ様でした。

ゆっくり戦争のない国で休んでください。

                                                                             

f:id:THEFLAMENCO:20190726005338j:plain

座長が好きだった最初のジャニーズ

f:id:THEFLAMENCO:20190726005426j:plain

嵐好きの座長



                                                            By Ayako  

#ジャニー喜多川 #ジャニーズ #ARAHI #YOUやっっちゃいなよ

 

 

 

【フラメンコの楽しいトリセツ】第一弾 by 浜田吾愛(La CAPI)

こんにちは。THE FLAMENCO TSUNAGUプロジェクト ブログ管理人のHIROです。
さあ、いよいよ始まります! 音楽評論家でもありフラメンコのカンテを自分のものにして歌い上げてしまうアーティスト浜田吾愛(わかな)さんの「フラメンコの楽しいトリセツ」連載第1弾です。
吾愛さんはおばあちゃんの知恵袋のように色々スペインの音楽史のことをご存知で(大学の先生におばあちゃんの知恵袋はなんと失礼な・・)、グラナダ25年在住の我が座長亜哉子も知らない唄にめぐり合うと吾愛さんに教えをこうほど。スペインの歴史もわかるし、フラメンコあんまり知らない~という方にも楽しい読み物です! 

 

  【フラメンコの楽しいトリセツ】浜田吾愛(La CAPI)著

 自分の身体だけを使って、人間はどんなことができるだろう。

何かを表現しようとするとき、人はたとえば手を叩き、足を打ち鳴らす。

もっと激しく気持ちを伝えたければ、身体全体を揺らしもするだろう。

あるいは、心のうちを言葉に乗せて、思いの丈をその喉から絞り出すだろう。

そこには、国境も人種も関係ない。

 

それが日本においては追分節やよされ、瞽女唄、アメリカならゴスペルやブルース、そしてスペインではフラメンコと呼ばれるものになった、というお話だ。

 

それらの唄や踊りには、身ひとつで生きることを余儀なくされた人々の、心の叫びが詰まっているのだ。
 

少しだけ歴史の勉強をしよう。

かつて約800年にわたって、ヨーロッパ大陸最南端イベリア半島の支配者となったイスラム民族は、15世紀の末、キリスト教徒との戦いに破れて半島を追われる。

まるで入れ替わるようにこの地にやってきたのが、ロマ族つまりスペイン語でヒターノとよばれる流浪の民だ。

f:id:THEFLAMENCO:20190719182338j:plain

 

スペインと名付けられた新しい王国で、ヒターノたちは自らの居場所を探し始める。

しかし、時の王様は簡単には彼らを認めない。

いわく「定職につけ」「定住せよ」「キリスト教徒になれ」……

 

どうです、21世紀日本のニート社会みたいでしょ。

 

それでもヒターノたちは、苦労しながら頑張った。彼らの強みは、その土地の踊りや音楽に自分たちの味付けを施す才能。

彼らがたどり着いたイベリア半島はまさに素材の宝庫だった。持たざる民の彼らにも、運がめぐってきた。

貴族の館などで彼らが披露する飾らないむき出しの芸は、いつしか評判を呼ぶ。

 

しかし身分のない彼らに回ってくるのは、いわゆる3K、4Kの仕事。

汗にまみれて働きながら、彼らはそこから唄を、踊りを生み出した。楽器がなくても、天性のリズム感が、彼らの武器。

 

“トナー”、鍛冶屋の調べ “マルティネーテ”、耕し唄 “カンテ・デ・トリージャ"、子守唄  “ナナ”、物語歌  “ロマンセ”……鍛冶場や畑の片隅で生み出された無伴奏の労働歌が、フラメンコの最初期のレパートリーとなった。[W]

 

 

ギターなしのフラメンコの唄(カンテ)源流といわれるフラメンコの例

 

座長亜哉子が初めてみたとき歌詞の内容もわからずに胸を射抜かれた伴奏なしのフラメンコの1曲 トナーではありませんが伴奏なしのCarcelerasという唄で誰でも歌えるものではないと言われている唄 Carcel=牢獄から派生した名前です 

https://m.youtube.com/watch?v=p2QvjrRZG44

 

マルティネーテ

座長亜哉子が大好きなマルティネーテの1つの映像です

https://m.youtube.com/watch?v=74U3ggKtYfA

 

 

 

いかがでしたか? 映像も面白いし興味深いので、ぜひ音が出せる環境でお試しください! 歴史と文化は深く関係しているんだなとつくづく納得。

 

次回の【フラメンコの楽しいトリセツ】お楽しみに!

 

#フラメンコ #スペイン音楽史 #Chocolate #ロマ族 #伝統音楽 #スペイン 

 

 

座長亜哉子を取り巻く人物相関図

THE FLAMENCO TSUNAGUプロジェクトのブログ管理人のHIROです。

まもなく座が座長亜哉子のバイブルである「フラメンコの歴史」の著者 浜田慈郎先生の娘さんである吾愛(わかな)さんの「フラメンコの楽しいトリセツ」の連載が開始します。全8回です!

その前に・・・

これまで座長亜哉子につながる登場人物がいろいろと現れましたよね。

 

その登場人物の関係を整理してみましょう。

 

ドラマ仕立ての人物相関図を作ってみました。

 

まずは、座長亜哉子の人生に深く影響を与えた人物相関図です。

 

f:id:THEFLAMENCO:20190717234901j:plain

座長の人生に影響与えた人物相関図

 

NUAGE GOTOさん TOMOE WHOLLYSさんはまだ登場していませんね。

 

そうそう カナステロとラフィについてもどうして座長の家族になることになったかもまだ語られていませんよね。

 

ちなみにコーディネーター 石原裕子 は ブログ管理人の私です。

 

今後徐々に明らかになります! お楽しみに!

 

民謡会館に行ってきました!っていったいどこ?

THE FLAMENCO TSUNAGUプロジェクト ブログ管理人のHIROです

今日は我が座長が日本民謡会館なるものに行ってきたときのお話です。

私もそんなのあるんだと関心。貴重な資料や道具の写真と共にお楽しみください!

 
公益財団法人日本民謡協会(会館)  http://www.nichimin.or.jp/index.html
月~金 9:30-18:00
TEL 03-3471-8888
土・日・祝日 休み
会館見学は会館時間中でも、あらかじめ電話をしてから行かれることをお勧めいたします

座長の亜哉子です。

民謡会館に行ったときのお話しをさせていただきます

どうぞ最後まで御付き合いください

f:id:THEFLAMENCO:20190716164253j:plain

小川さんと私

 

民謡界のホープ、福士さん(津軽民謡)と矢吹さん(津軽三味線)と繋がった私は、民謡の事をあまりに知らないので、何か良い本などないか尋ねたところ、
日本民謡協会(創立、昭和25年)の、日本民謡会館に本も資料(映像も含む)も沢山あると教えて頂き、大雨の降る5月のある日、行ってきました。



JRの大井町駅から徒歩7分くらいです。電話をして、開館しているか確かめてから向かいました。着いたのは閉館2時間前を切っていたので、まあ、今日はどんな資料があるか見て、また、後日ゆっくり来れば良いかな、と、気軽に会館に入りました。

f:id:THEFLAMENCO:20190716164525j:plain

受付を済ませた際、

先程お電話頂いた、石川さん(亜哉子の名字)ですか?今日は、資料案内係?が不在ですが、小山(おやま)という者が、対応させて頂きます。」

 

「た・・・対応??? うーむ、、、」

 

嬉しい反面、民謡への知識が無いので、「対応されても質問もないわ~」、「困った・・・」と思いながらも、私の中のキーワードには、日本の民謡/津軽民謡/津軽三味線/ 瞽女瞽女唄(小林ハル) / 越後の民謡/荷方節 があったので、そのあたりを知るには、どの資料を見たら良いかお聞きしようと思いました。


思いも寄らず、お茶や茶菓子など出して頂き、小山浩秀さんと私は、ちょこんとテーブルに座りました。私の知りたい範囲が広すぎて、(知らない範囲が広すぎて 笑)、知ったかぶりをするのは、諦めて、どうして来たのか話す事にしました。


つまり、~The Flamenco TSUNAGU~の企画をざっくりお話しした訳です。

 

フラメンコと民謡を繋ぐ事がやりたいのだが、民謡にについて、知らなすぎるから来たと。

 

そして、それから閉館までの2時間弱、小山さんは、なんと、ずーっと私とのお話に付き合ってくださいました。
私が、フラメンコと民謡に、非常に共通点を見出した事項。口承伝承であることや、労働から生まれた唄である事。楽譜が存在しない事。(フラメンコも民謡も、便宜上、楽譜が存在します)

 

美しいけど、消えていくと思われる文化、伝統を、私が見て来た範囲、出来る範囲で伝えたい気持ちも伝え、小山さんの経験談や、瞽女唄に関する考え、など、実は、資料を眺めているよりも貴重な時間を過ごしました。(資料は別の日に見れる、という意味で)

 

小山さんにとって、若い時、瞽女瞽女唄は、哀しすぎて聞けなかった。というような事をおしゃっていたのが、印象的でした。


私には、瞽女瞽女唄は胸に響きました。

彼は、聞く事さえ、できなかった。。。

 

人と、人の心は万別。当然ですが、感動しました。


小山さんにとっては、瞽女の存在は、きっともっと近い存在だったのだろうと、私なりに考えたりしました。


近いから、知ってるから、悲しずぎて見れないものってあると思います。

 

でも、小山さん、これを機会に?瞽女唄、聞いてみようかなって、おっしゃってました。

 

会話の中から、宿題も生まれました。
”白川軍八郎” 津軽三味線の神。津軽三味線を進化、確立した人物。
高橋竹山 この方が、津軽三味線を全国に広めた名人。


なんと、両人ともボサマ(盲目の門付芸人)でした。(正確には、高橋竹山は、うっすら見えていた、弱視だったらしい)


又、高山竹山が、一緒に巡業していた、成田雲竹さんは、民謡の父と呼ばれる方。

なんと、この方が、私達の民謡チームの福士あきみさんと繋がってきます。

宿題は山積みですが、楽しいです。


さて、会館には、労働から生まれた唄、という事で、実際、昔の農耕具が、本当に、ごろごろと置かれていました。笑。

f:id:THEFLAMENCO:20190716163741j:plain

農耕具

f:id:THEFLAMENCO:20190716164843j:plain

民謡に通常は楽譜は無い、と書きましたが、丁度、オリンピック用の五輪音頭の楽譜が届いたそうで、見せて頂きました。


文化譜と呼ぶそうです。

 

楽譜には、

 

ドン チンチ/ チンチ チンチ/ ドン チ チンチ 、、、

 

と、上の方に書かれていて、

 

まさかの口三味線! 

f:id:THEFLAMENCO:20190716164023j:plain

私、割と使うんです!フラメンコを教える時に、

タータ、タンタンタンッ、 ッタータンタンタン  とか。

 

ほら。フラメンコも使ってる!私、使ってる!文化譜を!衝撃の事実! 笑 

 

会館の受付のそばに、三味線が一棹置いてあり” お声をかけてください、自由にお弾きください” 的な事が書いてあるのも、衝撃的。(弾きたくても弾けない 笑)

 

さて、家に帰ってから、確か、小山流の小山浩秀さんとおっしゃったかな。と、小山流をググったりしましたら、、、

hirohidekai1427.web.fc2.com


はあ~ ですよね~ 

この方も民謡界のドン。3歳でデビュー、、、
貴重な時間でした。民謡協会様、小山様、ありがとうございました。また、足を運ばさせて頂きます! 

f:id:THEFLAMENCO:20190716164809j:plain




MINYO KYOUKAI 

(Museo de Minyo)

De lunes a Viernes

Cierra sabado, domingo y festivos

Hay varios utencilios de agricultura.(relacionado con el desarrollo de Minyo Japonés)

Recomendado llamar por telefono o enviar e-mail antes de visitar.

TEL+81 3 471-8888

info@nichimin.or.jp

 

#Tokyo 2020 #Minyo #民謡 #オリンピック音頭

 

 

座長亜哉子と柴崎正道氏との出会い

THE FLAMENCO TSUNAGUプロジェクトのブログ管理人のHIROです。

この人なしにはこのプロジェクトは起動しなかったというキーパーソン、舞踏家 柴崎正道さん。座長亜哉子はジャンルの違う柴崎さんとどうして出会うことになったのでしょうか?

 

座長の亜哉子です。私の身の上話にお付き合いいただきありがとうございます。

TSUNAGUプロジェクトのキーパーソン 柴崎さんとの出会いの話を聞いてください。

タイトル『繋ぐ~繋がった フラメンコ~私~柴崎正道~舞踏~民謡』


繋ぐプロジェクトが立ち上がった理由の一つに、舞踏家、柴崎正道さんの存在は大きいです。
20年ほど前、柴崎さんは、暗黒舞踏家としてスペインに度々公演にいらしていて、そのお手伝いで私も呼ばれ、彼に出会いました。
(呼んでくれた親友に感謝が止まりません)

 

舞踏家としてのスキル、感受性、人柄が素晴らしく、大変惹かれました。
沢山話をし、私はフラメンコの素晴らしさを伝え、柴崎さんもやはり、この時、フラメンコの魔物に取り憑かれたと思います。

 

20年前は、スペインのバブルが弾ける前で、ペセタ、という独自の通貨を持ち、スペイン人は、今と比べるとびっくりするほど、呑気に暮らしていました。

 

フラメンコの一流アーティストが溜まるバルがあり、盛り上がると、秘密の地下室で、朝まで歌って飲んでが見れた時代でした。
(今では、このようなバルや宴は、少なくなってきたと思います)

私は、色々見逃さないために、このバルの常連でしたので、地下室にも通してもらえてました。

 

柴崎さんと行った夜も、運良く宴は始まり、

観光で見せるフラメンコとは違った、フラメンコの原点を柴崎さんは、目撃することになります。

 

何かを共有すると、心が近づく。と言います。

 

お互いの芸術に対する尊重と、この夜の出来事を共有した事が、私達の繋がり、宝となります。

 

この20年は、お互いの活動に足を運んで友情を繋げました。

f:id:THEFLAMENCO:20190714000148j:plain

柴崎正道さんと私

 

グラナダでのフラメンコメンバーに関し、私にとってベストメンバーが揃い、私の生活や人生のタイミング的にも満を持した感があり、去年、柴崎さんにこのグループで日本で公演ができないかと相談したところ、柴崎さんも絡んで頂けるどころか、フラメンコの原点を日本に持ってきてくれるなら、僕達の原点とぶつけてみようと言ってくれました。


日本の北の民謡には、瞽女唄があり、それが、津軽民謡の原形でもあるかも、とか。(柴崎さんは福島県いわき市生まれ)

 

柴崎さんの舞踏(暗黒舞踏・前衛舞踏)の創始者である、土方巽さん(1928-1986) の生まれ故郷である、秋田の荷方節や、最後の瞽女と言われる小林ハルさん(新潟出身)の唄を共に聞き、私の底の日本人の心が、震えました。(最初にフラメンコを見た時の感覚と似ています)

 

フラメンコを通じて本当の自分に出会えた私は、今度は、自分の故郷の、自分の言葉の唄とメロディーでも自分に出会える予感がするのです。

 

民謡側と既に共演経験がある柴崎さんは、アーティストを探す手伝いを引き受けてくださり、私達は、民謡界の若手ホープ、福士あきみさん(唄)、矢吹和之さん(三味線)と出会うことになります。

 

25年住んだ、スペイン。私に毎日必要な空気のような存在となったフラメンコと、舞踏家、柴崎正道が繋がり、私達の故郷、日本の心、民謡が繋がります。

 

The Flamenco の踊り手で構成、振付担当のラファエル・マルトスと、柴崎さんが出会い、繋がったのも、このプロジェクトが立ち上がる何年か前のことになりますが、このお話は、また別の機会にお話しますね。
つづく 

 

"TSUNAGU"  (UNIR/ ENLAZAR)

Flamenco~Yo~ Sr.SHIBASAKI~Butoh~Minyo

 

Hay una persona muy importante en este projecto TSUNAGU, es el Sr. Masamichi Shibasaki, un bailarín de Butoh.

Le conocí hace 20 años y él ha venido varias veces a España para actuar. Entonces una amiga mía me llamó para trabajar durante su acto en Madrid.  (No sé cómo agradecerle a esa amiga mía por darme la oportunidad de conocer a Masamichi)

 

Me encantó Masamichi como artista, como persona. Hemos hablado muchas cosas y especialmente intenté explicarle cómo me enamoré del flamenco y tal vez él también empezó a enamorarse de éste.

En esa época en España usaban su propia moneda que se llamaba peseta.  La vida era muy diferente a la de ahora,

La gente era muy despreocupada y optimista. Hablaban y cantaban hasta la madrugada sin pensar en el trabajo del día siguiente. Había un bar de tipo sótano oscuro en el que se reunían artistas famosos del flamenco. Era un bar donde reúnen solamente tertulianos de flamenco.

Y yo iba siempre a ese bar, ya que ¡¡¡donde había flamenco, no debía faltar!!! …jajajaaaa

Lamentablemente creo que ya no existe este tipo de bar ahora.

 

Volviendo a aquella noche (hace 20 años), cuando fui a ese bar con Masamichi, ¡¡empezó una juerga grande de flamenco!!

 

¡¡¡Por suerte Masamichi vió el flamenco de verdad, el que no podía ver un simple turista!!!

 

Cuando se comparte una cosa muy profunda o especial, la relación amistosa se profundiza y une fácilmente el corazón de ambos,

Así que aquella noche nuestra amistad  profundizó y sigue siendo lo mismo o más hasta hoy. Yo observo su acto y él a mí respetando las actividades de ambos durante 20 años.

 

El año pasado por fin pude formar sólidamente el mejor equipo de flamenco del estilo que me gusta y también sentí que había llegado el momento de hacer algo con ellos.

 

¿Pero cómo?

 

Entonces consulté con Masamichi y me dio  su consentimiento de buena gana para colaborar a mi sueño. Además dijo que podía actuar con nuestro flamenco tradicional puro para mostrar la pasión y el alma del origen de flamenco y el de su arte.  

Además, me dió una idea de colaborar con Minyo de la zona norte de Japón.

 

Masamichi es de la provincia de Fukushima (cuidad Iwaki) y tiene mucha influencia de Minyo y la cultura del norte de Japón.

También el maestro y fundador de Buto, el Sr. Tatsumi Hijikata era originario de la provincia Akita, al norte de Japón. Por lo tanto Masamichi conoce mucho del Minyo del norte de Japón.

 

Masamichi me enseñó dos canciones de origen del Minyo, una es ” Nikatabushi ”(originaria de la provincia Niigata )

Otra es el cante de Haru Kobayashi , que es una cantante ciega ”Goze ”

(ella es la última Goze de Japón )

Tembló mi corazón profundamente(algo parecido a cuando vi por primera vez el flamenco ), aparte de que como soy japonesa, el idioma no es barrera tal como lo fue al principio con el flamenco.

Por la gracia del flamenco yo me encontré a mí misma. Ahora con el Minyo ¿podría pasar lo mismo?

Ahora con mi propio idioma y melodía.

Masamichi ya tenía experiencia de actuar con Minyo y me ayudó a buscar las artistas para este proyecto, y con mucho suerte nos encontramos con las estrellas del mundo de Minyo !!!

La cantante Akimi Fukushi,  El Samisén (la guitarra japonesa de tres cuerdas)Kazuyuki Yabuki,

España(25 años de mi vida )y el flamenco (ya como mi oxígeno)y Masamichi (el bailarín de Buto)

Y ahora enlazando con Minyo,(es nuestro origen, es nuestro corazón, es saber de dónde venimos )

Os contaré otro día cómo se han conocido y enlazado Masamichi con el bailaor Rafael Martos(uno de los miembro del proyecto)

Eso ocurrió hace 2 años más o menos,

Continuará...

Escrito por Ayako Ishikawa 

 

令和も民謡でGO Go Go! 民謡チーム出演のコンサートに行ってきました!

THE FLAMENCO TSUNAGU ブログ管理人のHIROです

今日は民謡のコンサートに行ってきたお話しを書きます。

なぜ民謡?? 

今回のTHE FLAMENCO TSUNAGUプロジェクトのチームジャパンは民謡界の若手ホープ、福士あきみさん(唄)と矢吹和之さん(三味線)だからです!

f:id:THEFLAMENCO:20190710173055j:plain

福士あきみさん

f:id:THEFLAMENCO:20190710173753j:plain

矢吹 和之さん

 

フラメンコとフラメンコの発祥・発展の話を聞いていただき、面白い!と二つ返事で競演をご快諾いただきました!

あきみさんのご一家は、今は亡きお父様(豊秋氏)を筆頭に津軽民謡の第一人者として伝統を大切にしながら、民謡の継承・発展に寄与してきました。

豊秋さんは、プロになって第一人者と認められる存在になってからもコンクールに出場するなど常に己に厳しい素晴らしい方であったのではと民謡をよく知らない私も感じてしまうエピソードがあるすごい方です。

お母さまも民謡協会から初代名人の称号を与えられた成田雲竹一門の出身で二代目成田雲竹女。

成田雲竹??? 誰なのと普通は思いますよね

調べていくとこのお方のお言葉がいろいろ出てくるのですが 例えば

「芸人は大衆にこびるが、芸能人は芸を記録として後世に残すことに生きがいを持つ」などなるほどという内容がたくさんあります。

民謡は、口承伝承として伝わっていく地域や時代に応じていろいろな歌詞がつけられてきたものですが、成田雲竹は、わいざつな歌詞をきらって生涯民謡の発掘と発展に自分の人生をささげた人物とのことです。

芸人と芸能人のくだりはなるほど・・・と思ってしまいます
色々調べていくと面白いことやなるほどということがたくさん民謡の世界にも広がっています。
日本人として知らないことありすぎ・・・ と思う反面、地域色豊な日本という国の文化に改めて良いなと感じます。
たとえば、津軽民謡の有名どころに「あいや節」というものがあるのですが、同じ青森県の中で、津軽あいや節と南部あいや節と地域により違う発展と定着をしています。
そもそも「あいや」って何と調べていくと、熊本の牛深港で歌われていた「ハイヤ節」という船頭が歌っていた唄らしく、それが各地の漁港に伝えられ、津軽ではそれがなまって「あいや節」として定着したとのことです。歌詞もご当地にあわせて変化をとげてます。
また半音下げた陰調なるものも存在します。

口承伝承、その土地に合わせて変化を遂げていく。という点ではフラメンコととても似ている!

さてあきみさんファミリーのお話に戻ります。
6月30日に「令和も民謡でGO GO」という福士ファミリーコンサートへ行ってきました。

f:id:THEFLAMENCO:20190710173609j:plain


人生初、民謡コンサート。スペイン人の夫、7歳の息子、86歳の母、15歳離れた姉と、いわば全世代で鑑賞。
津軽だけではなく、秋田、岩手の民謡歌手の方も出演していて、地域色の違いも満喫できました。
また、ブルースハープとの共演も美しかった!
地域は違うが、「五木の子守歌」をブルースハープと唄で奏でたのが、哀愁を感じ、言葉の意味の分からない7歳の息子も目を真ん丸にして聞き入ってました。

あきみさんの空へすかーっと伸びるような歌声も、東京にいながら津軽の情景が浮かんだな~
そんな素敵な日本のアーティストさんと一緒にできるなんて  楽しみです! 

f:id:THEFLAMENCO:20190710173559j:plain

令和も民謡でGO GOにご出演された皆さん

De parte de Japón para el proyecto TSUNAGU participarán Akimi Fukushi (cante) y Kazuyuki Yabuki (shamisen), quienes son promesas jóvenes del mundo del Minyo.


Escuchando la historia y el origen del flamenco, les ha encantó y dieron su consentimiento encantados con el proyecto.

 

La familia de Akimi contribuye a la sucesión y desarrollo de Minyo del distrito Tsugaru (norte de Japón) con su padre, Toyoaki Fukushi quien respeta la tradición.
Toyoaki parece que es un hombre muy exigente consigo mismo, ya que hay un episodio en el que él seguía participando en los concursos de amateur siendo el primer personaje de Minyo.
Su madre, Narita Unchikume, también es una persona importante del mundo de Minyo, una sucesora de la casa de Narita Unchiku quien recibió el título de primer maestro desde la asociación de Minyo japonés.

 


¿Quién es Narita Unchiku? No es un nombre familiar para la gente que no conoce Minyo.
Buscando y “googleando”
Aparecen varias palabras suyas

 

"Un animador (Geinin) adula al público y un artista siente la dicha de vivir transmitiendo su arte a la posteridad como una marca"

 


El Minyo es una arte oral y sus letras y estilos cambian según se van pasando lugares y con el transcurso del tiempo. Narita Unchiku odiaba las letras miserables y vulgares y contribuía al descubrimiento y desarrollo del Minyo durante toda su vida.
Sus palabras nos hacen pensar...

 


Buscando y estudiando informaciones sobre Minyo, hay muchas cosas interesantes y que no conocía hasta ahora.
A veces siento vergüenza de no conocer tantas cosas sobre una cultura japonesa tradicional siendo una japonesa.


Pero al mismo tiempo me siento orgullosa de tener tanta variedad de cultura según la zona en Japón.


Por ejemplo, uno de los cantes de Tsugaru más populares se llama Aiya-bushi. Dentro de la misma provincia Aomori, según el distrito se desarrolló en su propia manera. Y el origen de ese Aiya-bushi es el puerto pesquero de la provincia Kumamoto (sur de Japón). Los barqueros de Kumamoto cantaba "Haiya -bushi" y viajaban de puertoen puerto. Al llegar a Tsugaru (norte de Japón) se llamaban Aiya-bushi, es una corrupción de la palabra.


También cambiaba las letras según la costumbre de la zona y cambiaba el tono a más de melancolía.


O sea, el Minyo japonés es un arte folclórico transmitido oralmente y cambiando según las costumbres y culturas de cada zona.

 

¡Es lo mismo que el flamenco!


Volviendo al tema de la familia Akimi, se celebró un concierto de la familia Fukushi, que se llama "Go Go por Minyo en la nueva era Reiwa"


Fui por primera vez al concierto de Minyo. Fuimos toda la familia, o sea toda la generación, desde la abuela hasta un niño de 7 años. También con un español.


Cantaban no solamente los cantantes de Tsugaru sino también de Akita y de Iwate (otras provincias del norte de Japón) También participaba una armónica (normalmente no se usa para Minyo) y tocaba “para un cante de canción de cuna.”


Hace sentir melancolía y el niño y el español para quienes es difícil de entender las letras antiguas, lo observaban muy seriamente.


La voz de Akimi es muy transparente y al mismo tiempo tiene fuerza. Al escuchar da la imagen de la escena de Tsugaru.


Me siento muy feliz por trabajar con artistas tan maravillas como ellos.

 

 

座長亜哉子のフラメンコ人生 第3弾 初心にかえる

THE FLAMENCO TSUNAGUプロジェクト ブログ管理人のHIROです。

今回は我が座長亜哉子が自ら語るフラメンコ人生 第3弾をお楽しみください。

 

~座長の亜哉子でございます 私の身の上話にお付き合いくださりありがとうございます第2弾に続いて第三弾 初心にかえり、私のバイブルの書を読み直したおななしでございます。。。~
メンバーを正式に結成し(私を含め5名)日本に行くことを決意した後、改めて、私のバイブルを本棚から取り出して読み始めました。

f:id:THEFLAMENCO:20190709182908j:plain


この本は、またもや、私の心をどこかに連れ去ります。25年、実際スペインに生きてきた私には、実は25年前に読んだ時よりも滲みる内容でした。

 

ガツンときて泣きました。著者の濱田先生は、直接存じあげなかったのですが、娘さんの濱田吾愛さんとは、彼女のフラメンコの歌のライブを聞きに行ったことがあり、多少ばかりの面識があったので、早速連絡を取り、会いに行きました。

f:id:THEFLAMENCO:20190709183153j:plain

座長のバイブルの著者浜田先生



 

濱田吾愛さんが担当している、東京芸術大学のスペイン音楽の講義や、フラメンコの講義を聞きに行ったりしました。最初はこの公演までのカウントダウンブログでお父様の著書からの引用をさせて頂く事をお願いしようかと思っていましたが、お父様同様、深すぎる知識をもっていることや、私とは違った面で、本物のフラメンコを実際に見た人のコメントに私は再びガツンとやられ、いつの間にか、引用という作業自体が薄っぺらく感じました。

 


私と濱田吾愛さんは、全く異質ですが、スペインやフラメンコの話をよくしてケラケラ笑うようになりました。今回、この”The Flamenco TSUNAGU"プロジェクトのカウントダウンブログに、フラメンコをあまり知らない人にも見に来てもらいたいのでフラメンコについてわかりやすく説明を載せたいと考えていたのですが、彼女がその適役だと思いダメもとで相談を投げかけたところ承諾して頂きました。
さあ。もうじき、濱田吾愛さんのフラメンコの豆知識的な、シリーズブログが始まります!お楽しみに!

f:id:THEFLAMENCO:20190709183300j:plain

濱田わかなさん 


彼女とやりとりしていると、たまに、私のバイブルの著者である偉大なお父様の好物は、あんこ、である、とか。
わたし的には、嬉しいニュースが漏れたりして、ほくっと幸せになります。笑。

 


Cuando formé mí equipo de flamenco (somos 5) y decidí en ir a Japón con ellos, empezé recordar mi vida en España y mi flamenco. Entonces sentí ganas de volver a releer mi biblia particular, “Historia del flamenco”, escrito por Jiro Hamada.


¡Increíble!. Este libro me está llevando a un segundo viaje a mi corazón. ¿Por qué?. Soy la misma y el libro es mismo!!! 

Pero he vivido 25 años en España y cosas que hay escritas en este libro son ya reales para mí.

Me ha hecho llorar.

 

Yo personalmente no conozco al escritor pero por casualidad conocí a su hija Wakana Hamada. Ella también es musicóloga hispanista y canta flamenco.

 

La conocí cuando fui a verla cantar. Me pregunté si no sería una buena idea incluir alguna de las frases del libro de su padre en el folleto del concierto como homenaje a este libro que me influyo tanto en mis inicios y que sigue marcando mis pasos en el flamenco hasta la actualidad.

 

Decidí que le llamaría para pedirle que me diera permiso para ello. Pero antes de eso me interesaba escuchar su clase de música hispanista y clase de flamencología (Ella está dando clases en la Universidad de Arte de Tokyo ).

 


Es impresionante su clase. Su conocimiento es para mí es el no va más. Es igual que su padre. Ella conoce el flamenco de verdad porque lo ha visto y vivido.

 

Quería incluir las frases de su padre???  Es una tontería mía.

Me daba igual que me dijera que no, pero tenía que decirle lo que sentía y que me haría muchísima ilusión si pudiera escribir algún artículo para este proyecto.(The Flamenco TSUNAGU )

 

Y al fin, ¡me dijo que si! .

 

Ya mismo va a comenzar sus artículos. Esperamos que disfrutéis!!!

 

Yo y ella hablamos de muchas cosas de flamenco y reímos muchísimo! Ella algunas veces habla de su padre. Una de su comida favorita son los dulces. Él es para mí como un dios.

 

Mi dios come mucho dulce. No paro de reír y un ratito de alegría para mí.